世界放浪2年の序盤、東南アジアのラオスを旅していた私は、楽園シーパンドンを旅していた。
長く体調を崩しながら、ゲストハウスで療養したおかげでかなり調子が戻ってきた。
シーパンドンからサワンナケートへと移動する。
シーパンドンでの体調不良の日々からの脱却
▼放浪51日目 2014/1/27(月)
体調不良の日々が続いていたが、その日の朝はかなり調子が戻っていた。
眩暈もせず体のだるさもない。昨晩何も食べなかったのが良かったのだろうか。
健康というのは病気にならないと有難みを感じえないものである。
あたりまえな事などこの世には無いのではないかと、ひしひしを感じる。
ドンコーン島で泊まった「カオペーンゲストハウス」は居心地が素晴らしかった。また訪れたい。
※宿情報と予約はこちら→「Khao Paeng Guesthouse」
荷物を背負い宿のチェックアウトを済ませ、北にある今いるドンコーン島からドンデット島へ向かった。
古い鉄道橋を渡りのどかな田園風景を1時間程歩くと川沿いにバンガローが立ち並ぶ光景が目に入った。
私は事前にインターネットで調べていた時から、このドンデット島で夕日を見ながらハンモックに揺られ、優雅に本を読みたいと思っていた。
ドンデット島の宿・ゲストハウス
何件が部屋を見たところ、夕日の見れるバンガローは値段が高い物が多かった。
30000キープ~100000キープ(380円~1200円)が相場で、安いものはトイレも無くただの掘っ立て小屋である。
色々なバンガローがあり、部屋は綺麗だがトイレは外で、夕日が見えないバンガロー。
夕日も見れてトイレも中でWiFiは使えるが12万キープと高いバンガロー。
などなど。
考えた挙句、私は夕日の見える西側のバンガローを諦め、朝日の見える東側のバンガローを探す事にした。
歩いていると、中国人のような親父に声をかけられ部屋を見ると
バストイレも部屋の中にあり、朝日も見える川沿いで、Wifiも使えるとの事でそこに決めた。
「PHONE PASACK GUESTHUSE」という名前のバンガローである。
かなり汚いが50000万キープ(630円)でお手頃であった。
宿も決まり、荷物を置いて一息つくと、ドンデット島周辺をブラブラする事にした。
体調がもとに戻ってきた為、ようやく観光を楽しめる精神状態になれた。
しかし、あまり同じところに長く留まる事に抵抗があるのか、頭では明日にでもドンデット島を離れるつもりでいた。
この美しい島で時の流れに身を任せてゆっくりと滞在しても良かったが、何もせずに一日を過ごすことにどこか後ろめたさを感じてしまうのだ。
島を周遊し見終わったいま、己の中でのドンデット島は消化されたのかもしれない。
シーパンドンを離れる日
▼放浪52日目 2014/1/28(火)
中国人っぽい親父のゲストハウス「PHONE PASACK GUESTHUSE」に一泊したが、ベッドはバネが背中に突き刺さるように固く、枕は何ともいえぬ匂いがあり、夜は天井から小さな虫が落ちてきて、不快極まりない一夜であった。
さらに宿主はWiFiが使えると言っていたが実際は繋がらず、使えなかった分安くしてくれと交渉したが、
「今は使えてるだろ、ほら見て見ろ」という態度で、結局一泊5万キープで押し切られてしまった。
自分はどうも押しに弱い。こういったお人好しさというか「弱さ」は、これから何らかの形で痛い目を見る時が来るであろう。
強い意志を持った、芯のある交渉力・人間力が必要だと痛感する。
午前11時にサワンナケート行きのチケットを購入し船着き場からドンデット島を離れた。
さらばドンデット。ありがとうドンデット。
素晴らしい島であった。
シーパンドンからサワンナケートへ向かう
< 13:00 >
ドンデット島の船着き場から、ナカサンの船着き場に着き、そこからパークセー→サワンナケートへと行くルートであったが、ラオスという国は、バスが予定通り進まない。とにかく待たされる。
今回も人が集まるのを待って、1時間半程経って乗り合いバンが出発した。
< 15:00 >
パークセーに着くと、サワンナケート行きの指示されたバスへ乗り換えた。
ミニバンである事が多いラオスの乗り物だが、今回は立派な「はとバス」のようにでかい。しかし待てども一向に進まない。
ようやくバスが進んだと思うと、すぐに停車しては人を乗せ、大量の荷物を載せる。進んだと思うとまた人を乗せ荷物を載せ、それを何度も繰り返し、1時間ほどしてようやく街の中心から抜けた。
街から離れたと思ったら今度は乗っていた人が降りて、また荷物の積み下ろしが始まる。
ローカルバスなのだから当たり前なのかもしれないが、非常にスローペースなバスであった。
日暮れ前に宿探しをしたかったが、そうもいかないみたいである。
< 17:00 >
どこかの街でバスが止まった。
バスの外には沢山の売り子が集まり、木の棒に刺さった何かの肉を売っていた。
鶏肉の様に見えるが、えげつない見た目である。
食べてみたいがバスで腹を壊したくないと思い攻める事が出来なかった。
サワンナケート到着
< 20:00 >
ようやくパークセからサワンナケートにたどり着いた。
しかしここは街の中心から外れた場所だった。
また別のバスに乗り換える必要があり、運転手の指示通り待つことにした。
1時間待っても運転手が戻ってこない。
運転手を見ると外でただ突っ立っている。
「サワンナケートへ行きたいのだが!」と運転手に話しかけるも、ラオス語で何やら言うだけで、待てども暮せどもバスは出発しなかった。
車の外へ出て、暗い街並みをただぼーっと眺める。
フランス人との交流
< 22:00 >
いつ出発するのかわからない車の中で、一緒に時間を過ごしていたフランス人と英語で少し話すことが出来た。
彼の名はソフィアン。
私が日本人だよと話すと、「JAPANはお気に入りの国だ」との事。アニメのNARUTOやドラゴンボールが好きなのだという。
彼は持っていた携帯カバーを見せると、そこにはNARUTOのキャラクターが描かれていた。
バンコクで買ったらしい。
なんとも、うれしい気持ちがした。
彼は日本の数字「1~10」を楽しそうに言葉にしていた。
これもNARUTOで覚えたそうだが、私もフランス語の数字「1~10」を教えて貰った。
「4」の発音が難しく【キャッ(タ)カ】のようにカタカナ化出来ず何度も発音を直された。
そんなアニメ好きのフランス人ソフィアと近くの店で簡単に食事を済ませるとようやく出発の時間が来た。
団体バスが到着するのを待っていたようだ。
既に夜の11時を回りそうな時刻であった。
サワンナケート宿探し
< 23:15 >
サワンナケートの中心地にミニバンが到着し、私を含め5人が降りた。
大きなリョックを背負い歩いている3人に、街に居る沢山の犬が威嚇してくる。とても怖い。
あらかじめ調べていたホテル「LEENA GUEST HOUSE」へ向かうつもりで地図を見ていると、フランス人のソフィアとスペイン人の女性も一緒に来るという。歩くと結構距離があるが2人はいいのかな、と思いながら歩くことにした。
スペイン人の女性はアリブという名前で、三島由紀夫の小説が好きなのだそうで本を持ち歩き、それを見せてくれた。
三島由紀夫の本なんてこれまで一冊も読んだことが無い。
そんなに良いものなら早速読んでみたいと思ったが、外国にいる今の自分にその術は無かった。
閉ざされたゲストハウス
30分程歩くと「LEENA GUEST HOUSE」が見えたが、残念な事に安い部屋は埋まっていた。
相談し別のホテルを探すことにした。
2人の持っていたガイドブックのホテルを探してみたが、どこにもそのホテルは存在していなかった。
この時既に0時を回っていた。
私はgoogleの地図を見ながらそこにあるホテルマークに気づき二人に相談し、行ってみる事にした。
たどり着くと門が締まっていた。
「サバイディー(こんばんわー)」と呼んでも出てこないため、ソフィアが門を乗り越えて宿主を起こしてくれた。
1泊9万キープで少し高かったが2人で割り勘出来るので我慢した。
アリブへは一人部屋で割高になり申し訳ないと思いながら。
ムスリムの祈り
< 00:30 >
ようやく宿が決まり寝間着に着替え歯を磨き終わるとソフィアンが何ごとが私に話しかけてきた。
英語がよく理解できず携帯の翻訳を使ってもらうと、「Muslim(ムスリム)」という言葉であった。
彼はイスラム教の信者で、神への祈り「pray」をして良いかとの話であった。
「もちろんいいよ!」と私は承諾すると、ソフィアンは「ありがとうごじゃります」と日本語で返してきた。
ソフィアンは窓を閉めて床に布を敷き、小さな言葉をつぶやきながら祈りをはじめた。
ゆっくりと両膝を着き平伏すように祈る。
またゆっくりと立ち上がり言葉をつぶやく。
その動作を、恐らくイスラム教の聖地であるメッカの方角に向けて繰り返していた。
私は後ろから凝視するのも悪いと思い、ベッドの上にあぐらをかき静かに目をつぶることにした。
こういった祈りの場面を目の当たりにするのは初めてであった。
夜の月明かりにぼんやりと映る彼の祈りは、とても美しく見えた。
世界に広く伝わっていて、様々な種類のある「宗教」について、自分は何も知らない事に気が付いた。
旅の中で興味のある事、学ばなければならない事がまた一つ増えたような気がした。
彼とは1年後にフランスで再会し、数年後に日本でも再会することになる。
私は唯一友人と言える、外国人である。
フランスでホームステイ・数年越しに再会するムスリムの旅人
つづく