▼放浪171日目 2014/5/27(火)
元陽のバスターミナルから、ベトナムとの国境の街「河口」へ向かうバスに乗り込んだ。
新街鎮→元陽(80元)、元陽→河口(60元)。
およそ3時間。この河口で長居する気は無かった。
一旦ベトナムへ入国しまた中国へ戻り滞在有効期間をリセットする、通称「ビザラン」を行うのが目的だ。
バックパックを背負い街を歩いていると声を掛けられ、中を見るとそんなに悪くない安宿、「康美客房部」に泊まる事にした。一泊40元(660円)、wifi有(ロビーのみ)。
携帯の翻訳機能を使いながら宿の主人と、中国と日本の事について少しやりとりをした。
沖縄の事や、自衛隊の戦闘機の一件、安倍政権の事について。
ある時は相槌し、ある時は切り返したが、私の勉強不足もあり最後はモヤモヤが残ってしまった。
自国に有利な情報しか公開していない可能性は日本側にもある訳で、どちらが正しいかはわからないが色々な立場からの情報を受け取って、考える事が必要だ。
中国からベトナムへ
▼放浪172日目 2014/5/28(水)
朝、中国側の国境をくぐり出国する。
イミグレーションに人は少なく、外国人観光客は私一人のようだ。
この時期、中国とベトナムは南シナ海の領土問題で揉めていた。
出入国出来るか心配していたが、問題なさそうだ。
ベトナムを入国してすぐ、両替屋とバイクタクシーの呼び込みが来て、5人に囲まれてしまった。
とてもうっとおしい。
私はベトナムのウザったさを忘れていた。
街へ歩いてお昼ご飯を食べようとカフェに入るが、中国元が使えない。
ベトナム語が思い出せない。言葉が通じずコミュニケーションが取れない。
ここでお昼を食べようと思っていたがもう全て面倒になり中国側へ戻る事にした。
その途中でカフェを見つけ、身振り手振りでベトナムコーヒーだけ飲む。
甘くて美味しい。
中国側へ再入国し、ふらりと中華屋に寄る。
ご主人が冷蔵庫を見せて、どれが食べたいと聞くので、材料を選んだ。
豚肉とキノコを指差すと、ネギを加えてそれを炒めてくれた。
これがなんともいえず美味い!
豚肉のジューシーさとキノコのまろやかな旨みが絡まっている!
ピーマンも指差していて、それを炒めただけの料理も美味い!
一つ頬張ると、中から肉汁(ピーマン汁?)がジュワっと滴り口の中に広がる!
この河口の街は、置屋街で有名な街らしかった。
川沿いに雑居ビルに迷い込んだとき、沢山のベトナム人らしき売春婦に声をかけられた。
笑顔で通り抜けたが、売春宿に良いイメージは無い。
治安も良いとは言いがたいので、足早に宿に戻ることにした。
ビザランも終了し、あと15日は中国に滞在出来る事になった。
明日はバスで河口から昆明(クンミン)へ移動する。155元(2500円)。
河口から昆明へ移動
▼放浪173日目 2014/5/29(木)
朝、河口のバスターミナルから昆明行きのバスへ乗り込む。
およそ6時間、夕方前に昆明にたどり着いた。
昆明のバスターミナルから歩いて、宿まで40分程かかっただろうか、迷いながらもたどり着くことが出来た。
「昆明駝峰国際青年旅舍(The Hump Youth Hostel)」一泊35元。ドミも綺麗で立派だが、併設のバーが広くて素晴らしく寛げる。Wi-Fiはやや遅い。
場所は広場の路地を南へ入ったこの辺り。
※宿情報と予約はこちら→「The Hump Youth Hostel」
昆明を街歩き
▼放浪174日目 2014/5/30(金)
昆明の街を歩く。
通り沿いには味わい深い絵が描かれていた。
道で商売するなという意味だろうが、歩いている人のが邪魔に見える。
マナーを守りましょうという啓蒙する看板が中国にもあって、フムフムと思う。
北にある公園に行くと、本物の偽ミニーちゃんに出会えた。
首のところが人間っぽくて素敵だ。
▼放浪175日目 2014/5/31(土)
朝、列車の駅へ向かい、昆明の東にある観光地、「羅平」行きのチケットを購入した。37.5元(618円)
夕方、元陽で会ったガキさんと合流し更にブラブラ。
彼は広州へ帰る途中でこの昆明に立ち寄ったらしい。
雲南省名物の、米線(ミーシェン)を食べる。22元(365円)
美味しい事は美味しいが、私の大好物、西紅柿炒蛋(シーホンシーチャオタン)には及ばない。
超豪華レストランへ
▼放浪176日目 2014/6/1(日)
10日前、私は建水という街に居て、そこでご飯を食べていた。
すると「日本人ですか?」と声を掛けられた。
「そうです。」と返事をすると、こちらのテーブルに来て一緒に食べようと誘われた。
少し戸惑いながらもテーブルに着くと30代後半から40代の5人の男性が座っていた。
彼らは昔1年程日本で暮らしていた事があるらしく、日本語が堪能であった。
私はお酒や食事をご馳走になりながら、これまでの旅の話、これからの旅の話などをした。
「昆明には来ますか?」
私は行くつもりだと答えると、彼らは私の持っていた紙に住所を書き始めた。
「昆明に来たらここに来なさい。私たちはレストランを運営している。食事をご馳走しよう。19時に来ればショーも見れるよ。」
「わかりました、昆明に着いたら必ず行きます。」
そして私は約束通りタダ飯に釣られ、ガキさんと共に「雲南人家」にたどりついた。
小さなレストランかと想像していたが、門をくぐるとその内装の大きさ、装飾の素晴らしさに度胆を抜かれた。
出て来た食事は雲南名物の「米線」だ。
昨日食べたものより、質が高く旨い。
おつまみでは虫が出て来た。これもポリポリとした歯ごたえで美味しい。
オーナーさんが集めた様々な中国の民族衣装や骨董品が目を楽しませてくれた。
翡翠も売っていた。
何千万、何億?もする翡翠は撮影禁止だった。
これらはミャンマー産らしい。
桂林出身のオーナーさんとプーアル茶で会談をする。
昆明はドンドン古い街並みが無くなっているという話や、日本にこの雲南人家を広める方法などを話した。
ひとまずは私がブログで宣伝しますよ!と伝えた。
まあ大した宣伝効果は無いが。
という事で、素晴らしい舞台を見ながら美味しい食事が出来る「雲南人家」は以下の場所にあります。
昆明を訪れた際は是非足を運んでみてはいかがだろうか。
最後、ガキさんがお代はと聞いていたが、雲南人家のスタッフ、チョウさんはいらないと答えていた。
私は鼻っからタダ飯を食べにくるつもりだった事を恥じた。
少しだけだが。
そろそろここを離れる。
昆明の街はとても都会であった。それ故に古い建物がドンドン壊されている。
散歩していると、大きな区画ごとビルが壊されているエリアを見た。
古い建物にこそ、その町の生活の匂いが感じられ味わいが出るのだが、それが消えつつある。
東京も同じだ。
どんどん下町の味のある建物が無くなっている。
ある時に見た景色が、全て無くなっていて「あれここには何があったっけ。」と思う事がある。
例えば2006年東京の勝どき1丁目のこの風景。
今は道路ごとビルになってしまっている。
2009年、建設途中の東京スカイツリーなどはこの時、この瞬間しか撮れない景色だ。
この移り変わりの激しい東京の景色を、今記録しなければ忘れてしまうと思い立ち、私がカメラをはじめたのが8年前(2006年)くらいだろうか。
変化が激しいのは外国でもどこでも同じ事だ。
その変化は風景だけでなく、人との交流や、自分の感情・性格も含めてと考えると、
今しか無い、この瞬間を大切に生きなければと思えてくる。
毎日毎日を全力で味わい尽くすように生きよう。
そうだ、明日死んでも後悔しない毎日を過ごさなければだ。
全力で旅を楽しもう。
つづく