KENJI HIROTA PHOTOGRAPHY

房総半島カメラマン・ヒロタケンジ

イラン・首都テヘラン ヤクザに言われたテレホンカード

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約7分

▼放浪299日目 2014/10/02(木)
イラン北部のカスピ海沿岸に近い街、バンダレ・トルキャマンを観光した私はテヘラン行きのバスへ乗り込んだ。
(※前回の記事→【放浪297-299日目-イラン】ゴルガーン・バンダレトルキャマンとホスピタリティ)

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首都テヘランでのチンチョンチャン

日が暮れた時刻にイランの首都テヘランに到着した。

 

バスターミナルから宿まではかなり離れていたので、徒歩と地下鉄で移動することにした。
 

夜、大きな荷物を背負って街を歩いていると、
道行く人々に「チンチョンチャン!」とヤジるような声が聞こえた。

彼らは中国語の話す音真似をしているらしく、
あからさまに中国人を馬鹿にしているようで、日本人としても気持ちの良いものではなかった。
数人に言われたが、聞こえない振りをして足早に通り過ぎた。
 

電車内での熱視線

地下鉄に乗りこむと、電車の中はかなりの乗客がいた。
大きな荷物を抱えた日本人が珍しいのだろう、全員の視線が私に集中した。
目的地の駅に着くまでの十数分、この視線はなかなかのストレスであった。

私も負けまいと彼らと目を合わせるが、とても強力な目力を持っていて、いつもこちらが目をそらしてしまう。
後日「目が合ったら微笑む戦法」を試したところ、向こうも微笑み返し、そして会話が生まれ、このストレスが消え去った。
全世界共通のコミュニケーション「笑顔」ってやつはやはり大切だ。
 

夜九時頃。
宿にほど近い「Mellat」駅を降りると、人通りの少ない道に出た。夜も遅いので早歩きで通り抜ける。
とはいえ、イランで窃盗や強盗が行われるイメージが無い。
アッラー(神)が常に見ているという教えが強いためだろうか、治安は良いと感じる。
IMG_2774
 

テヘランの定番宿・マシュハドホテル

テヘランの定番の安宿「マシュハドホテル」にチェックインした。
一泊20万リエル(約740円)。遅いWifiあり。
清潔感は「中の下」といった感じだが、何故か居心地は悪くない。
情報ノートもあり、ここでは沢山の日本人と会う事が出来た。

 

テヘラン観光・日本語ペラペラインド人

▼放浪300日目 2014/10/03(金)
宝石博物館から北へ行くと、両替屋が沢山並んでいる通りがある。
イランはアメリカとの仲が悪く、ATMからお金をおろすことが出来ない為、
事前に大量のドルを準備しておかなければならない。
私はキルギスで大量に下ろしていた。
 

両替屋でドルをイランリエルに両替(1ドル=32500リエル)し、店を出ると日本語で話しかけてくる男が居た。
「あれ?日本人?」
彼の名前はカレンジッツ。
インド人旅行者で短期でイランを旅行している。
かつて、日本で数年間留学をしていたらしく、日本語をペラペラと話していた。
そんなカレンジッツと一緒にテヘラン観光する事になった。
 

私には時間がある(予定が無い)ので、短期旅行者の彼の行くままついていくと、
ゾロアスター教の施設や、元アメリカ大使館の建物、
絨毯博物館や北の小高い山の展望など、色々な場所へ連れて行ってくれた。

テヘラン観光・映画アルゴの舞台

元アメリカ大使館へ行ったとき、カレンジッツは大興奮していた。
ここは1980年に起きたイランアメリカ大使館人質事件を題材にした映画「アルゴ」の舞台となった場所で、元大使館の壁にはアメリカを揶揄する絵が沢山描かれていた。
イランへ行く人は事前に映画を見ておくのも良いだろう。

カレンジッツは宗教や歴史の知識を踏まえたうえで観光をしていて、とても楽しそうだ。
私も彼を見習い、知識を踏まえたうえで観光しなければと思いつつ、
しかし興味が湧かない物に情熱は注げない。という屁理屈をこねて相変わらず腑抜けたように旅をしていた。

北の小高い展望山へ行ったときはタクシーの中で、高画質で写真を撮れる高級コンパクトカメラ「GR DIGITALⅢ」を置き忘れてしまった。
またやってしまった。気が抜けきってしまっているようだ。
イランに入ってから数日間の写真データが無くなった。

一眼はウズベキスタンに忘れ、コンパクトカメラもタクシーに忘れ、何をしているのかと自分が情けなくなった。
きっとアッラー(神)がイランで写真を撮るなとおっしゃられているかもしれない。
そうか、ならばもうカメラの事は忘れて、五感を使い味わうように旅をしようと心に決めた瞬間だった。
といいつつ、その後はiPhoneで沢山撮ったのだが。

 

イランは甘い物が豊富

▼放浪301日目 2014/10/04(土)
イランはイスラム教の国で、宗教上禁じられているアルコール類がまったく売っていない。
噂ではトルコからこっそり持ち込む悪いイラン人もいるらしいが、基本的に飲むことは難しい。

私は日本でも旅でも「かー!今日一杯いきてーなーー!」「仕事終わりのこの一杯がたまらねえなーー!」などと思う事がない。
ビールの旨さがわからないというと「人生半分損しているね」と飲み会で言われたことがあったが、
損しているとも思わないし、人生ほかに楽しいことが溢れているので悔しくはない。
イランは酒好きには辛い国だろうが、私は苦しむことなく過ごすことが出来た。

代わりにイランでは甘いものが豊富で、フレッシュジュースやシェイク、アイスなどが街の至るところにあった。
甘党の私は好んでこれらを飲んで食べた。
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安宿のホテルマシュハドを出て右方向へ進み、大通りに出て左の横断歩道を渡った角にあるアイスクリーム屋など、
毎日通った記憶がある。
イタリアンジェラートのようなコクとまろやかさのあるアイスクリームだった。
(※写真は別のアイスクリーム屋さん)
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ご飯も私の口に合った。
写真右下のナスをペースト状にした何かは、見た目気持ち悪いがうま味が詰まっていてとろけるようだった。
場所は北部の終点駅にあったはずだが、詳しくは失念。
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そんなテヘランの食生活であった。

 

昔、東京の上野にいた怪しいイラン人達

▼放浪302日目 2014/10/05(日)
公園や街を歩いていると、日本語で話しかけてくるイラン人がいる。
多くは50代くらいの年配の人たちで、しかもかなり流暢に言葉を話す。
 

1990年初頭、日本には沢山のイラン人たちが出稼ぎに来ていた。
当時、イランと日本はVISA無しで出入国出来ていたらしい。

あるひとは群馬県の工場で1年働いていたり、東京に住んでた人がいたり。
楽しそうに昔話を披露してくれた。
そういえば昔、上野にイラン人居たなーと私も懐かしい気持ちにさせてくれた。

当時小学生だったか、上野のアメ横でイラン人が偽造テレホンカードを売っていたことを覚えている。
使用済みのテレホンカードの穴に不正に加工をし、これを路上で人に声をかけながら売っていたのだ。
イラン人=偽造テレホンカード=悪い事=悪い人=怖い
という小学生なりの悪いイメージを持っていた。

冗談交じりの会話で「日本では何してたの?テレホンカード売ってた?(笑)」と聞くと、
「あれば一部のイラン人がヤクザに言われてやってたことで、みんな真面目に働いていたよ!」との事。
たしかにこの国へ来てみると、いい人ばかりで偽造テレホンカードを売るイメージはない。

遠く離れたイランと日本も、強い結びつきがあったのだなと感慨に浸った。

 

翌日のエスファハーン行きのチケットを購入し、明日ここテヘランを離れることにした。

つづく

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