KENJI HIROTA PHOTOGRAPHY

房総半島カメラマン・ヒロタケンジ

【克服の記録】あがり症で15年間悩み33歳で人生を変えて世界放浪した元会社員

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約10分


ある日、ふと20代の頃の自分を思い出しました。
そういえば私はどうしようもない「あがり症」で悩みまくった人生だったことを。

人前に立つと声が震えて、その震えを意識してまた緊張する。
人前で話す予定もないのにあるかもしれないという不安感で常に落ち着かない。
そのうち初対面や1対1のコミュニケーションも辛くなり、マイナス思考の渦へ入り生きる希望も見えなくなりました。

精神的に追い詰められてなんとかしようと、心療内科やコミュニケーション講座、スピーチ教室へ通い、改善の光が見えて気が楽になったのが、2011年31歳の時。

数年経った今でも人前は嫌いですが「まあどうでもいいか」と楽でいられる自分と出会えました。
今回は僕がどのようにしてあがり症になり、改善していったかを書きました。
今現在、あがり症で悩む人の参考になれば幸いです。

長文なのでお暇な時に見てください。

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高校の授業中 本読みで声が震えたのがはじまり

あがり症のきっかけは、高校の国語の授業中でした。

今日は28日だから、出席番号8番の人はここ読んで〜。

先生から指名された僕は立ち上がり、音読を始めました。
はじめ普通に読み上げていた声は、次第に謎の緊張で震えはじめました。
ついには泣き声のようになると、皆が後ろを向いてこちらを見ます。
それを意識して、また緊張が膨れ上がり手足が震えました。

あの時何故緊張したのか、いまでも良くわかりません。(クラスの皆と馴染めてなかったからか?)
その日以降、先生から指名されて人前に立たされるかもという恐怖で、毎日憂鬱な学校生活を送ることになりました。

社会人になり対人恐怖が酷くなる

誤魔化しながら高校・専門学校を卒業し、何度か転職をしてIT系の会社に入ると、
「面接」や「会議」「プレゼン」など人前に立つシチュエーションを要求される事が多くなります。
実際人前に立つ場面は滅多になかったのに「あるかもしれない」という想像だけで、圧倒的な不安と恐怖が支配し、心は憂鬱になり、お腹は緊張で痛くなりました。

症状は悪くなるばかりで、飲み会や初対面、女性も苦手になり、とうとう人間自体が嫌になってきました。
本屋や図書館に助けを求め、自己啓発本や心に関する本を読み漁りました。
解決策を見るとなるほど!と頭で理解はしますが、心は言う事をきかず、すぐにモヤモヤ状態に逆戻り。その繰り返しでした。

何もなくて常に不安な状態は「社会不安障害」という症状が当てはまりました。
もうこれは社会生活を送るのは無理だと思い、28歳の僕に逃げ場は無く、将来への絶望感が支配しました。
もう会社を辞めよう、と思ったのです。

助けを求めコミュニケーション講座へ

上司に相談し会社のメンタル室で面談を受けました。
専門家のおばちゃんと話をしながら、まずは心療内科と話し方講座へ行くことにしました。

インターネットであがり症や話し方を調べていると、沢山のコミュニケーション講座を見つけました。
すべて怪しい会社に見えましたが、悩みに悩んで一つの会社に申し込みました。
ダイレクトコミュニケーション(通称ダイコミュ)という会社でした。

通いはじめの1ヶ月は吐き気がするほど緊張しましたが、優しい生徒さんと穏やかな元引きこもりの先生が、座学でゆっくり心のモヤモヤを解いてくれました。
自己紹介では1対1から1対2と徐々に慣れさせてくれたり、小規模なプレゼンなど人前で話す練習をさせてくれました。
同じ悩みを抱えた友人達と励まし合いながら、自分の出来ることを増やしていきました。

ダイコミュに2年通うと、人とのコミュニケーションが楽しいと感じるまでになりました。
元気を取り戻してきた僕でしたが、まだ「あがり症」が治った訳ではありませんでした。

スピーチ教室へ

会社の朝礼では、前に立って仕事の規則を唱和する時間がありました。
当番制で、いよいよ自分の出番がくると、案の定ガチガチの緊張で声は震え、高校時代の悪夢が蘇りました。
その日の夜は恥ずかしさと共に、オレは何てダメ人間なんだろうと強烈な自己否定が始まり、枕を濡らしました。

いよいよ人前に立つ訓練をすべきだと思った僕は、インターネットで東京話し方教室を見つけました。
ここは人前でのスピーチに重点を置いた教室でした。

10秒間スピーチで何度も人前で話す機会があったり。
自分が立候補になったつもりで大声で選挙活動のスピーチをしたり。
皆で正装して新郎役になって模擬結婚式をしてスピーチをしたり。

3ヶ月間、様々な非日常的なシチュエーションで緊張感を高めて、スピーチの練習を行いました。

乗り越えた壁

一方、会社の朝礼では、唱和だけでは飽き足らず、1分間スピーチというのもはじまっていました。
スーツを着た堅苦しい人々が集まるオフィスで、長々と話をしなければなりません。
想像しただけで卒倒しそうでした。

朝礼は当番制なので、残酷にも順番は回ってきました。
大勢の人の目線は、銃口を突きつけられたような緊張感がありました。
ガタガタと足が震えているのがわかります。

スピーチ中も緊張感が高まるのがわかりました。
しかし今回はスピーチ教室の練習で意識していた「大きい声を出す」事だけを考えて話をしました。
すると緊張に支配される事なく、最後まで話終える事が出来ました。

スピーチが終わり席に戻ると、隣りのT村さんが言いました。
あれは良いスピーチだったねぇ
僕は礼を言って仕事に戻ると、一人で心の感動の嵐が吹き荒れました。

今日という日は、ずっと逃げ続けていたあがり症に立ち向かい、
一つの壁を乗り越え、自分がレベルアップした素晴らしい日でした。

「あがり症」という、ラスボス級の悩みが無くなった僕は、30歳を過ぎて第2の人生が始まりました。
「人生やりたいことやって燃え尽きなければ!」「明日死ぬかもしれない!」
と、生き急ぐような思考モードに変わると、あっという間に会社を辞めて、
2013年12月、33歳の時に2年間の世界放浪の旅へ出る事になりました。

あがり症でよかった

なんでこんな小さな事で悩むのだ!と、自己否定と苦しみしかなかったあの頃。
今思えば、あの自分のモヤモヤの心と問い続ける日々があって良かったと思っています。

会話が苦手な人の気持ちがわかるようになったり。
相手と自分が心地よい距離感をはかれるようになったり。
どんな自分でも認めてあげられるようになったり。

僕の場合、人前に立つ事から逃げ続けていた為に、悩みをより深めてしまいました。
立ち向かわなければ恐怖は消えない事を知りました。
そして、その先にはとても広く楽しい世界がありました。

僕は未だに、緊張するし、あがり症だし、些細な事で悩むこともあります。
でも昔と違うのは、自己否定をしなくなった事です。
あがり症で「ダサいなーダメだなー」と思う事が、自分自身を傷つけていたのです。

あがり症で悩むあなたへの改善策

あがり症で悩んでいる人は、とても辛い状況にあると思います。
どうして自分はダメなんだ・・とか、自己否定が大きいと思います。
もがき苦しんだ中で、私は様々な対策を試してきました。

あがり症の薬(インデラル)を飲んでもその場しのぎ

しんど過ぎて助けを求めた私は、診療内科へ行くと【インデラル】という薬を処方されました。
会社で緊張しそうな場面、例えば朝の朝礼の前に何度か飲みましたが、酔っ払ったような眠くなるような軽く朦朧(もうろう)としたような状態になります。
確かに緊張は紛れるのですが、薬は、その場しのぎの誤魔化にすぎない。根本の解決にはならない
と、判断しました。

「あがり症 薬 ランキング」で検索に来てくださったあなた。
残念ながらここには、その要望に応える情報はありません。
薬はその場限りの対症療法にすぎず、僕はオススメしません。
自分であがり症の症状を客観的に知り、改善策を探り、症状軽減の為に小さなことから実行していきましょう。

本を読んで症状を知る

藁をもつかむように本屋へ通い、色んな自己啓発系の本を読みました。(当時は恥ずかしくて買えず立ち読みしていた)
その中で印象に残っているのが、以下の3冊です。


『森田療法 (講談社現代新書)』
昔の人も同じ悩みを抱えていたのでしょう。その解決法も脈々と受け継がれているようです。
何故症状が出るのかを論理的に解説されていて、どうやって治療をしていくかが書かれています。
読んでいると、一時気は楽になりますが、結局は行動しないとダメですけどね。


『他人がこわい―あがり症・内気・社会恐怖の心理学』
日本だけじゃなく、外国でも同じ悩みを抱えた人が居るのです。
実例を見ると悩みを抱えているのは、自分だけじゃ無いを思わせてくれる良書です。


『賢者の書』
少年が8人の賢者と出会い人生の気づきを学ぶストーリー。
”人間が一番よく聞くのが、自分の心の言葉。誰の言葉よりも自分自身の言葉に強い影響を受けている。”
自己否定を繰り返していた当時、この言葉から血液が逆流したような衝撃を受けました。
すぐに落ち込んでしまう理由・マイナス思考に陥ってしまう原因の一つがわかった瞬間でした。

「賢者の書」については、こちらの記事で紹介しましたので、よければご覧ください。
👉憂鬱の原因は自己否定の”心の言葉”だった。31歳の時に影響を受けた本「賢者の書」の紹介

「ダイコミュ」に通って練習をする。場数を踏む。

改善の道は場数にあると思います。
まずは家族や友人から話す練習を始めて、少しずつ人数を増やしていく事です。
同じ悩みそれ以上の悩みを抱えた人が世の中には沢山いるので、どこかのコミュニティに入って相談して助け合う事です。
私の場合は、ダイレクトコミュニケーションでした。

自分の悩みよりも、もっと深刻な症状の人も居たりして、自分の事を棚に上げて皆んなを応援したくなるのです。
ここで出会った仲間達は、10年経過した今でも付き合いがあります。

結局あがり症は治らない

僕は現在もあがり症であり、人前に立つのは嫌です。
しかし「あがるのは当たり前」のことなので、舞台で堂々とあがり倒します。
だって、大勢の前で舞台に立ったら緊張するのは仕方がない事。

適度な緊張は、潜在的な力を引き出してくれて、より聴衆に伝わるものです。
なので、緊張に支配されないように、たくさんの練習をしましょう。

どんな自分であっても認めてあげて。
自己否定の心の声は出来るだけ小さくして、「頑張ってる!」「いいね!」と、自分を褒め称えてあげてください!

以上、あがり症で苦しんだ昔話でした。
長々とお読みいただきありがとうございました!
でわでわー!
あわせてこちらの記事もどうぞ!
あがり症時代の事についてインタビューして頂いた記事もあわせてご覧ください
👉明日死ぬかもよ?元あがり症フォトグラファーが人生を旅するワケ。フリーランスカメラマン廣田賢司さんにインタビュー

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