KENJI HIROTA PHOTOGRAPHY

房総半島カメラマン・ヒロタケンジ

暴動が多発するオリーブ山の宿・「イブラヒム ピースハウス」を訪れる

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約4分


世界放浪2年の旅の中盤。
イスラエルへ入国した私は、テルアビブの豊かすぎる街並みに度肝を抜かれた
ビーチや古い街並みを後にして、次の街「聖地エルサレム」へ移動する。

テルアビブからエルサレムへの行き方。
平和活動家の名物爺さんの居る、イブラヒム ピースハウスを訪れた時の、旅行記である。

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テルアビブからエルサレムへ

▼放浪449日目 2015/3/1(日)
華やかなテルアビブの観光を終えた私は、エルサレムへ移動する。
バスで40分ほど。料金は19シュケル(¥570)。

到着したバスステーションは、街の中心から随分と離れていた。
ここからトラムを乗ればすぐ着くのだろうが、乗り方がよくわからず聞くのも面倒なので歩いて宿まで行くことにした。
バス停から宿まで10キロ以内なら歩くぞという自分との約束もあった。
とはいえ、エルサレム周辺は丘に囲まれ坂道が多く、20キロを超える荷物を抱えていた私には辛いものがあった。

エルサレムの安宿「イブラヒム ピースハウス」

オリーブ山のきつい坂を登り、アラブの雰囲気漂う街並みでウロウロと迷っていた。
近所の人々に「イブラヒム?イブラヒム?」と訪ね歩くと路地の奥に「イブラヒム ピースハウス」を見つけた。

ハロー!と声をかけると子供達がおりてきて、宿のスタッフのように私を部屋へ案内してくれた。名物のイブラヒムお爺さんはどこだろう。

ピースハウスにはアメリカ人の怪しいボランティアスタッフとよくわからない欧米人カップルが居た。
一応日本人宿のはずであるが、どこにも日本人はいない。
あてがわれたシングルルームは、窓から外の光が綺麗に入り清潔感があった。
トイレ、バスも設備は古いが清潔に保たれており、居心地が良いのでこの日は宿でゆっくりと過ごすことにした。

子供達は近所から遊びにきていたようだ。
写真を撮りながらゆったり遊んだ。

イブラヒム爺さん

宿はアーネストというアメリカ人が管理人をしていて、イブラヒム爺さんは翌日の夜に現れた。
先輩旅人たちのブログを見ると、大量のご飯を作ってくれ「ウェルカム!イート!」と叫ぶらしいが、宿泊客が少なかったようで私が訪れた時にご飯は無かった。(ごはん食べたかった。)

そんなイブラヒム爺さんは、パレスチナ人で平和活動家をされている。
パスポートを持っていないので、自分から外国へは行けないのだと嘆いていた。
自宅を開放して旅人を泊めていると、いつしか日本人が集まるようになり、日本人宿として名が知られるようになった。
が、私が2泊滞在した時に旅人と出会う事はなかった。

イブラヒム爺さんは30分ほどの滞在で家へ帰ってしまい、彼がどんな活動をしていたかよくわからなかった。
その代わりに、壁にはこれまでの活動を表す写真が沢山飾られていた。

宿泊代はドネーション(寄付制)

ピースハウスは宿泊施設では無いが、ベッドとWi-Fiや食事が付いてきて、もはや宿である。
料金は決まっていないとの事で、張り紙にあるように50シュケル(¥1,500)を支払おうとすると、イブラヒム爺さんに「何故だ!?ご飯も付いてて!?」と言われてしまい、結局100シュケル(¥3,000)を支払った。
25〜100シュケルと書いてあったのは何なのか・・と首を傾げてしまった。
イブラヒムさん自身、財政的に厳しいようだが、安く無い値段である以上ここに長居は出来ないなと感じてしまった。

治安は良いとは言えないオリーブ山の地域

私はこの場所に2泊したが、治安の悪さを感じる事は無かった。
しかし1ヶ月後に友人の投稿で、このオリーブ山周辺でパレスチナ人が亡くなり暴動が発生していた。

私が街の中心に泊まっていた時にも、何度かサイレンの音が鳴りオリーブ山付近の東エルサレムで事件が発生していた。
訪れる場合は現地の最新の状況を確認していくべきであろう。

ピースハウスでの二日間

滞在中イブラヒム爺さんはほとんどおらず、新しい旅人も来ない。
wi-fiもこの時通じず、宿代も安くは無い値段で、観光の中心地からも離れていた為、私は2日で出て行く決意をした。

オリーブ山の上から見える、アラブの街を見下ろしながら。

つづく

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