世界放浪2年の旅は、中盤に差し掛かり、
私はヨーロッパから中東のイスラエルへ入国した。
留学経験のある旅人がオススメしてくれた、パレスチナ自治区にあるナブルス。
イスラエル軍との衝突が起こる地域で、治安を心配しながらの観光であったが、
町の人々は暖かい笑顔でアジア人である私を迎えてくれた。
これはパレスチナ自治区・ナブルスの街を訪問した旅行記である。
・本記事は、2015年3月に旅した情報を元に作成しています
エルサレムからナブルスへ
▼放浪453日目 2015/3/6(金)
クッション性の無い硬いベッドで目を覚まし、チクチクと肌に触る薄手の毛布を払いのけて起床した。
エルサレムの中心地に近い安宿、ラムシスホステル(RAMSIS HOSTEL)に私は宿泊している。
清潔感を感じないベッドではあるが、相部屋なのに他の客が誰もおらず、のびのびと滞在させて貰った。
貸切状態なのが気に入り、ここに3泊ほど滞在していた。
オーナーがとてもフレンドリーで優しい。
一泊75シュケル(¥2,250)。wifi・キッチンあり。
観光に疲れていた私は、予定していた隣国ヨルダンへの観光をやめ、
友人がオススメしてくれたナブルスという街へ行くことにした。
エルサレムからナブルスへの直行バスはなく、「ラマッラ」という街を経由する。
エルサレム→ラマッラ—-8シュケル(¥240)
ラマッラ→ナブルス—-16シュケル(¥480)
ナブルスは独特の景観をした街並みだった。
遠くに見える丘の斜面に、家々が迫るようにそそり立っていて、見晴らしが良い。
ふと大勢の観客が見えたので入ってみると、なんとサッカーをやっているではないか。
中東の田舎の町で、誰もが知っている馴染みのスポーツを見かけ感動してしまった。
近くでとうもろこしの屋台を発見。安定の美味しさを提供してくれた。5シュケル(¥150)
ナブルスの安宿「International Friends Guest House」
ナブルスの宿泊した宿は「International Friends Guest House」
一泊、75シュケル(¥2,250)
他の宿泊客がおらず居心地は良かったが、夜はスタッフが帰ってしまい、広い家に独りきりでめちゃめちゃ怖い。
ナブルスの町歩き
▼放浪455日目 2015/3/7(土)
友人からオススメの街と言われたものの、ナブルスに何があるのか下調べしていなかった。
ひとまず町をぶらぶらと歩きまわる。
アジア人の私は目立つようで、声をかけてもらう率が高くなってきた。
10歩あるく度に、写真撮って!と声を掛けられる。
フレンドリー過ぎるほどにフレンドリー。
ナブルスの甘い名物・クナーファ
ナブルスの名物と呼ばれる、甘いお菓子「クナーファ」を見つけた。
アラビアンナイトの昔話にも出てくるほどに、歴史のあるお菓子。
5シュケル(¥150)
脳天に突き抜ける甘さの中を、チーズがまろやかにしてくれる。
けっこう好みの味で、もう一度食べようと思ったが体に悪そうなので自重した。
渋谷でおいしいクナーファが食べられるようだ。
おそらく日本一美味しいクナーファが食べられる店 / アラビアレストラン ゼノビア
▼放浪456日目 2015/3/8(日)
この日は体調を崩してしまい、午前中は宿で眠り、昼過ぎに街へ出かけた。
野菜たっぷりのサンドイッチ屋。
中東で安く食べられる、ケバブを注文する。20シュケル(¥600)
ナブルスを離れる
体調を崩しながら、今日でナブルスの街を離れる事にした。
この時期の私はすっかり旅に疲れ、残念ながら無気力なナブルスの観光となった。
観光地として人が多く訪れる場所の多くは、「観光客向け」の華やかな街であることが多い。
土産物屋やお洒落なカフェが立ち並び、どこも似たような印象だ。
効率化を優先させた都市部は、それが顕著に出る。
貨幣経済の影響が少ない田舎にこそ、その国の良さが滲み出るという持論だ。
ナブルスも観光客をほとんど見かけず、素朴で親しみを感じるパレスチナ人をたくさん知ることができた。
絶景や驚きの観光も何もなかったが、パレスチナ人の優しが、心に染み込むナブルスの観光であった。
翌日、私はナブルスを離れエルサレムの宿へ戻った。
これから更に南下してエジプトとの国境へ向かう。
つづく