KENJI HIROTA PHOTOGRAPHY

房総半島カメラマン・ヒロタケンジ

暗黒の世界へ川下り ラオスの秘境「コンロー洞窟」探検へ!

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約8分


世界放浪2年の中盤。
東南アジアのラオスを旅していた私は、カンボジアで出会った旅人の強い勧めでコンロー洞窟を訪れる事にした。
山奥にあり、行くまでの道のりは大変であったが、真っ暗な洞窟の中をボートで進むドキドキ感は他に無い感動があった。

これは、コンロー洞窟を訪れた時の、旅行記である。

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サワンナケートからターケークへ

フランスとスペインの旅人と別れた私は、ターケーク行きの車に乗り込んだ。
非常に狭いミニバンにもかかわらず、運搬としても使いたいようで、砂袋のような荷物をどんどん詰め込まれていく。
荷物は座席の下の足もとまでにおよび、人間がどんどん息苦しくなる。

足を折り曲げる姿勢になり、ぎゅうぎゅうでお客さんが乗り込み、バスは出発した。
長期間座っているとあちこちの血流が溜まり体の節々がしびれたり痛みを訴えて来るようだった。
同乗していたイタリア人家族は、この待遇にかなり怒っていた。体が大きいので納得もできる。

ターケークからコンロー洞窟にちかいナヒン村へ

ようやくターケークという街に着くと、今度は、”ソンテウ”というトラックを改造した乗合バスに乗り換える。
本来ターケークで一泊しようと思っていたが、洞窟のあるコンロー村へ行くならこっちだ、という流れに乗ってしまった。

ローカルバスなので車内は地元の人ばかりで、私はラオス語の数字(1~10)を覚えてる最中だったのでそれを得意げに披露した。

その後ターケークからナヒン村に着くと、またバスに乗り換え、目的地であるコンロー村へ向かう。
バスの外から見る景色はのどかで、ほぼ山に囲まれた村のようでそれは日本の田舎を想像させ、懐かしさを覚えた。

コンロー洞窟のある「コンロー村」到着

ナヒン村から一時間程で目的地であるコンロー村にたどりついた。
既に日が暮れそうな時刻であった。
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コンロー村はほぼ一本道で、この通りにゲストハウスが何軒か(8~10件程?)存在している。
3件程回ったがどれも満室で15分程度歩いた場所に空き室がありそこに泊まることに決めた。

一泊、60000キープ(760円程)でバストイレ付きで清潔な部屋であった。Wifiなし。
明日はここから歩いて15分程先にあるコンロー洞窟へ向かう。

コンロー洞窟の入り口

▼55日目 2014/1/31(金)
コンロー洞窟は歩いて行けるとの事で少し早く起きて外へ出る事にした。
宿から見る朝日は眩しく、空気は澄み渡り、世界が輝いてみえた。
コンロー村。そこは大きな山々に囲まれた美しい場所である。
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宿から一本道を15分程歩いただろうか、コンロー洞窟の門に辿り着いた。
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ここで入場料2000キープ(25円)を払い中に入る。
内部は公園の様な雰囲気で道の両脇に大きな木がそびえ立ち、鳥の鳴き声と涼しい風が吹き、景色を楽しみながらゆっくりと先へ進む。
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公園の突当りに看板と建物が見えてきた。看板を見るとラオス語、フランス語、英語で説明が書かれていた。
「canue」という単語があり「カヌー」の事だと認識するのに時間が掛かった。
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カヌー1隻:100,000キープ(1,270円)、入場料:18,000キープ(230円)が必要のようだった。
10万キープは高いので受付の人に相談すると、カヌーは3人まで乗船可能でそれを頭割りする事が出来るとの事。私は他の観光客が来るのを待つことにした。
15分程待つと、二人組の男性が遠くからやってきた。

スキンヘッドと、少し横に広がりのある(太った)男であった。私にとっては良いカモである。
話しかけると、ああもちろんいいよ、シェアしようぜ、と言ってくれた。
スキンヘッドはアルゼンチン人、太った男はイギリス人との事であった。

受付で一人あたり 51,000キープ(650円)を支払う。受付で靴からサンダルへ履き替えろとの指示があった。
洞窟内にひざ下まで水が入る場所があるらしい。
また、ライフジャケットも無料で貸し出される。9:15 準備が整い船頭さんの案内に従って3人で洞窟へ向かう。
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洞窟の入り口付近に入ると空気が変わり、少し生温かいような湿気を含んだ空気に包まれた。
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洞窟の奥へ行くにつれ外の光が届かなくなり、ヘッドライトが必要となる。
自分で持っていたヘッドライトを使ったが、受付で貸出も行っている。
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この時、私の心は冒険心を掻き立てるようなワクワクで満たされていた。
もはや心が踊り、顔がうすら笑っている。
奥にはボートが何隻かとまっていて、船頭さんとその助手のような男2人がエンジンを確認したり燃料を入れたりと準備をしていた。

真っ暗な洞窟の奥へ

しばらくすると乗り込めとの合図が出た。
乗り込んだボートは思ったより小さく水面が舟のフチのギリギリまで来ていて、舟自体も不安定で大きく傾き揺れ、時折ジャブジャブと中に水が入ってくる。
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エンジンがかかり、船が真っ暗な洞窟の中を進んだ。
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エンジン音の反響する感覚や、船頭さんの照らすライトからその洞窟の広さ、大きさを感じる事が出来た。
4階建て、5階建てのビルがスッポリの入るくらいの高さがあるように感じる。
写真を何枚か撮るが、揺れと暗さと水しぶきでうまく撮ることは難しかった。
10分程で一旦舟から降りてライトアップされた空間に入る。

洞窟の奥の神秘的な鍾乳洞

鍾乳洞が見れる空間のようだった。
そこは広く美しい場所で、光の演出によって宇宙空間のような世界であった。
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ゆっくりと写真を撮りたいが、船頭さんがこっちこっちと急がせるので早足で通り抜ける形となった。
またボートに乗り込み、暗い洞窟を進む。

時折船は浅瀬に乗り上げ、舟が進まなくなる時があるので、一旦降りて一緒に船を押す作業が必要であった。
その押す作業もまたワクワクしていた。

洞窟の先にある小さな村

30分程で洞窟の外に出ると、折り返し地点の村に到着した。
皆でコーヒーを飲むことが出来た。
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休憩所には、イギリス人(男)とアルゼンチン人(男)、フィンランド人?(男)イギリス人(女)、フランス人(男)が居て、どこから来たか、これからどこへ行くか等を話した。
私は会話のボキャブラリーが少ない為、頷いたり相槌を打つ事しかできない。


船頭さんの合図で休憩時間が終わり、舟へ戻った。
30分から40分でまた洞窟の入り口に戻り、コンロー洞窟の観光を終えた。

洞窟の入り口でアルゼンチン人に写真を撮ってもらった。
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私は写真は撮る事は好きだが、撮られ慣れていない。
しかし海外に居ると自分が居た証拠として残したいという気持ちが強く、最近は良く撮るようにしている。
日本の友人たちへ「元気である」というのを知らせたい思いもあるかもしれない。


コンロー洞窟は約2か月間旅した中で一番楽しく、エキサイトした場所であった。
インディージョーンズのような冒険の気分を少し味わう事が出来た。

そしてこの村の自然の豊かさ、人の穏やかさ、宿の良さも、素晴らしさに一役買っている。

移動するお金が無い

3時間ほどの、コンロー洞窟の観光が終わり、午後はゆっくり散歩でもしようとしたが、財布にお金が無い事に気が付いた。
だいぶ前にお金を沢山おろしたつもりであったが、移動費が想定以上にかかり、手持ちが少なくなっていたことに気づかなかった。
ここで、あと一泊するお金も無い。

ATMは無いかと宿の人に尋ねると「無い」との返答。
隣のナ・ヒン村にATMがあるとの事でそこに向かう事にした。
本当はコンロー村にもう一泊にしたかったが、やむを得ず移動する事にした。

1時間ほど待てば、ソンテウが来るとの事だったが、待てども来ない。
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▽18:00
5時間程待っていたが、ソンテウは全く来る気配が無かった。
宿の人間も何故来ないのかはわからないと言う。
温和な私も少し腹が立った。
このままコンロー村に居ても一泊するお金が無く、野宿しようか困った状況であった。


ふと宿のカウンターを見るとUSドルが使えると書いてあった。
たしかUSドルを持っている事に気づき、探すと10ドルを持っていた。
よかった。これでひとまず一泊は出来る。

ナ・ヒン村へは翌日の朝向かう事となった。
私はソンテウが来ず長時間待たされた一件で宿の人間に腹が立っていた為、別の宿を探す事にした。

そこで見つけたのが「PHOUNSOUK GUEST HOUSE」である。
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一泊50,000キープ(640円)で、三つもベッドがある部屋に泊めてくれた。
宿はオープンして半年くらいで、清潔な内装でホットシャワーもついていた。
(たしかwifiは無かった。)

何より素晴らしいのが、ここの若い主人の人柄である。
背が高く、スラっとしていて、でもナヨっとしていて、芸人の楽しんごのような雰囲気で、常に笑顔を湛え、親しみやすい人物であった。
翌日のナヒン村への手配や、ATMがどこにあるのか、首都ビエンチャンへ行きたいと話すと、どう行くべきかを丁寧に教えてくれた。
また来たいと思える宿であった。
私は半日を無駄に過ごしたが、最後に良い宿に出会えたのでまぁ良いかと思う事にし、眠りについた。

明日はナ・ヒン村へ行ったあと、首都ビエンチャンへ向かう。

つづく

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