世界放浪2年の旅の中盤で訪れた、中央アジアのウズベキスタン。
シルクロードのイメージ通り、荒涼とした大地やラクダ。イスラム教文化の濃い街並みに、タイル張りの美しいモスク。
人懐っこい優しい人々。土気色の風景。口に合わなかった料理たち。
日本とはかけ離れた風土や文化を感じながら、興奮の多い旅でした。
東の国境から西の国境まで、陸路で21日間をかけて巡ったウズベキスタンの旅を振り返ります。
・本記事は、2015年9月に旅した情報を元に作成しています
ウズベキスタンの観光ルートと訪れた都市
ユーラシア大陸を陸路で1年かけて横断する大きな旅の中で訪れたウズベキスタン。
東側にある隣国、キルギスからカザフスタンを経由し、首都のタシケントへ入りました。
東部フェルガナ地方へ寄り、横断する形で南西のヒヴァからトルクメニスタンへ抜けるルートをとりました。
首都タシケント[Toshkent]
キルギスの国境からカザフスタンを経由し、はじめに訪れた都市が首都のタシケント。
大きなビルがあり、地下鉄があり、時々スーツを着る人もおり、想像以上に発展した都市の印象が強い。
ATMが壊滅的に使う事ができず、大量のドルを持ち歩かなければならず、緊張しながら街を歩いたのを覚えている。
特に地下鉄で、警官が荷物チェックで、なんくせをつけて別室に連れて行かれたり、罰金を取ろうとする事でも知られていた。
私は運が良かったのか、警官の検問もなく、治安の悪さを感じることは何1つなかった。
旧市街の人々のフレンドリーさは、私の旅情を掻き立ててくれ良い思い出として残っている。
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・タシケント観光・古き良き迷路の旧市街と激ウマのシャキシャキサンドイッチ
コーカンド[Kokand]
特に下調べもなく訪れた「コーカンド」。
イスラム王朝「コーカンド・ハン国」の都だった、歴史ある場所。
首都タシケントから離れた場所にあったので、どれだけ田舎だろうと想像していたが、
道や建物がしっかり整備された、なんとも洗練された街だった。
印象に残っているのが、大きな「フダヤル・ハーン宮殿」。
中は博物館になっていて、日本との交流をしていた品々もあった。
ここは経由地で一泊のみ。目的地は南の田舎町「リシタン」であった。
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ウズベキスタン・古都 コーカン(コカン)の観光と街歩き
リシタン[Rishton]
友人のオススメで訪れたフェルガナ地方の「リシタン」。
ここに日本語学校があり、ご縁で講師やらせてもらったり、卓球をしたり。
結婚式に参加したり、とても楽しく過ごさせてもらった、思い出の場所。
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・ウズベキスタン・リシタン(1) NORIKO学級で先生を任されて失意に落ちる
・ウズベキスタン・リシタン(2) NORIKO学級で国際結婚式に招待された
サマルカンド[Samarkand]
ウズベキスタン屈指の観光地である青の都サマルカンド。
荘厳で巨大な「レジスタン広場」が美しい。
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・ウズベキスタン・青の都サマルカンドの親しみのある人々
ヌクス[Nukus]とモイナク[Mo‘ynoq]
船の墓場へアクセスする際の経由地で宿泊した街。
これぞ中央アジアの田舎か!という、映画に出てきそうな場末な雰囲気が大好きになった。
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・アラル海「船の墓場」の行き方と哀愁漂う場末のヌクス
ヒヴァ[Khiva]
イチャンカラと呼ばれる城壁が特徴の都市。
内部は迷路のようになっていて、かつて奴隷制度があった時代に発展した。
歩いていると、タイムスリップしたような気持ちになって、ウズベキスタンで一番好きな町。
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・【ウズベキスタン-ヒヴァ観光】重厚な城壁の街と朝食の美味いホテル
ウズベキスタンの宿について
東南アジアや東アジアを旅していた私にとって、ウズベキスタンは宿はやや値段が高い印象がありました。
300円~800円くらいだったのに対して、倍以上、一泊1200円や1500円が当たり前の世界になり、僕の度胆は抜かれました。
とはいえ値段が高い分、朝食付きだったり清潔感のある宿が多かったりと、品質は良かったかなともいえます。
タシケントの安宿・ゲストハウス
首都タシケントで宿泊したのが「グルナラ ゲストハウス(Gulnara Guesthouse)」。
広い庭と掃除の行き届いた部屋で、快適に過ごす事ができました。
治安を心配して緊張しながら町を歩くのですが、このゲストハウスで安心して過ごす事ができました。
日本人も数名宿泊していました。朝食付き。
※宿情報と予約はこちら→「グルナラ ゲストハウス(Booking.com)」
リシタンの宿
宿と言えるかはわかりませんが、リシタンで泊まった日本語学校の校長先生ガニシェル邸は一泊30ドル(寄付も含む)と、少しお高いですが、3食ご飯付きでとても快適に過ごす事が出来ました。
その時の記事→「【放浪273~274日-ウズベキスタン】フェルガナ地方リシタン(1)・日本語学校と失意」
サマルカンドの安宿・ゲストハウス
サマルカンドで宿泊したのが「バハディール」。
ここでも自転車乗りや60代を超えた女性バックパッカーと出会う事ができた。
設備が古いため、トイレとシャワールームに若干不潔な印象を受けるが、
町の中心にあり、観光するのにとても便利でオススメ。
※宿情報と予約はこちら→「B&B Bahodir(Booking.com)」
ヒヴァの安宿・ゲストハウス
一番のお勧め宿が、ヒヴァにあるアーリーベック。一泊10ドル。
朝ご飯のボリュームとバリエーションが半端ない満足度でありました。
※宿情報と予約はこちら→「Khiva Alibek B&B(Booking.com)」
関連記事→「【放浪287-290日-ウズベキスタン】郷愁と城壁のヒヴァ」
そんな、ウズベキスタンの宿情報でした。
発行された証明書に空白期間があると、汚職警察官がマネーを要求してくる話もあります。
一度地下鉄へ乗る時に、荷物とパスポートチェックをされ、わたしはちゃんと発行していたのでセーフでした。
ウズベキスタンのおすすめの観光は?
ウズベキスタンに滞在した中で、オススメの観光をご紹介いたします。
船の墓場(モイナク)
廃墟系が好きな僕は「船の墓場」の朽ち果てた雰囲気が素晴らしく感じました。
かつて豊かなアラル海が広がり、漁で盛んだったこの場所。
現在は砂漠に姿を変え、かつての漁船が無残にうち捨てらて、そこにあります。
船の墓場の記事→「【放浪284-286日-ウズベキスタン】哀愁のヌクスと船の墓場」
旧市街の景色(タシケントとサマルカンド)
人が集まる観光地よりも住んでいる人の生活や体温がわかるような旅が私は好きだ。
物珍しいアジア人を見かけると、気安く声をかけてくれてる。
細く入り組んだ路地がたくさんあり迷路のような旧市街を歩くのはとても楽しかったのです。
・関連記事→「タシケント観光・古き良き迷路の旧市街と激ウマのシャキシャキサンドイッチ」
イチャン・カラ(ヒヴァ)
ウズベキスタンで激お勧めな場所がヒヴァです。
これまでの旅の中で5本指に入る、とても感激した街でした。
巨大な城壁。土色の建物。入り組んだ路地。象徴的なタワー。
こんな異世界感、タイムスリップ感は他の町にはない景色です。
ヒヴァの記事→「【放浪287-290日-ウズベキスタン】郷愁と城壁のヒヴァ」
この西ウズベキスタンは、マンガの「乙嫁語り」の舞台のようで、まだ水に満たされたいたアラル海の様子などが描かれています。
中央アジアの文化や風習が繊細に描かれた素敵な作品ですので、是非読んでみてください。
ウズベキスタン料理や食事はどうだった?
残念ながらウズベキスタンにおいて、ああ!このご飯を超美味しい!という食事には出会う事ができませんでした。
決して不味かったという訳でなく、心に残るような料理に巡り合えなかったのです。
そんな中でも美味しい!と思えたのは、リシタン日本語学校校長先生の娘さんとお母様が作る料理でした。
毎食とてもお腹いっぱい幸せな日々を過ごさせて頂きました。
屋台系で美味しかったのが、首都タシケントのサンドイッチ屋さん。
3回~4回程食べた記憶があります。
野菜のシャキシャキであり、中のハンバーグのような肉は噛みごたえあり。絶品です。
サンドイッチ屋の記事→「【放浪279-282日-ウズベキスタン】首都タシケント・サンドイッチ少年の腕前」
何度でも繰り返しますがヒヴァにある、アーリーベックの朝ご飯は、とてもとても豪華でボリュームたっぷりでしたし。
中央アジアでよく食べたのが、プロフ(焼飯)でした。
朝出来たままの作り置きが多く、油っぽかったりご飯が硬かったりしてイマイチである事が多かったです。
そんなウズベキスタンの、お食事事情でした。
ウズベキスタンの治安は?
ウズベキスタンを歩いていて、危険な目にあったり、怪しい雰囲気の場所だったり、嫌な目にあった事が一つもありませんでした。
どこか場所へ移動する時も、誰かが親切に教えてくれて案内までしてくれる事が何度もありました。
フェルガナ地方のリシタンは、外務省で「渡航の延期をお勧めします。」と出ている地区でしたが、何の問題も無い街でした。
子供たちは夜遅くまで遊び回り、日本の都会のほうが危ないのでは無いかと感じる程です。
ウズベキスタンは安全である。というのが私の感想ですが、運が良いだけかもしれません。
十分注意して行動をしてください。
ウズベキスタンで使った費用は?
中国から東南アジアを経て、このウズベキスタンから少しずつお金の消費が多くなってきました。
もっと節約をすべきであったかなと反省しています。
とはいえ1日2500円程で過ごせるので、日本よりは物価が安い感覚があります。
3000スム≒114円≒1ドル(闇レート換算 2014/9時点)
■宿代—-42,750円(1125,000スム) 1泊あたり 2,137円(夜行列車分除く)
■食費—-6,460円(170,000スム)1日あたり 307円
■観光・移動費—-12,046円(317,000スム)
■その他—-7,397円(VISA代など)
■合計—–68,653円(一日平均 3,269円)
ウズベキスタンの旅を振り返ってみて
旅立ち前、ウズベキスタンのイメージは?と聞かれても何も思い浮かばない程に知識として無かった国。
直前にインターネットで調べた情報では、警察が腐ってたり、入国でワイロを要求されりというブログ情報があり、むしろ悪いイメージのまま入国をしました。
入国して確かにそのイメージ通り、地下鉄に入る時の必要以上の荷物チェックやパスポートチェック。
宿の滞在証明書をチェックされたり、証明書が発行される場所以外は宿泊してはいけないルールだったり、旧ロシア政権の面倒な仕組みがいまも残り、ストレスを感じることも多々ありました。
しかし街を歩けば、道々で気さくに声を掛けてくれる住人たちがいます。
多くの人は現地語で、会話が成立する事はないのですが、身振り手振りと彼らの笑顔でいつも気持ちの良いコミュニケーションをとる事が出来たのです。
正直な話、観光的に強く印象に残る場所は思い浮かびませんでした。(ヒヴァ以外)
ウズベキスタンと言えば!?と聞かれたら、思い浮かぶのは、彼らの親しみのある優しい顔です。
そんな素敵なウズベキスタンという国で過ごした21日間を紹介させて頂きました。
おしまい