KENJI HIROTA PHOTOGRAPHY

房総半島カメラマン・ヒロタケンジ

【暗い街・ブカレスト観光】治安の恐怖に怯えたマンホールチルドレンの穴と独裁政権の歴史

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約5分


世界放浪2年の中盤。
東欧を旅していた私は、ブルガリアからルーマニアの首都、ブカレストへ入国する。
バスを降りて早々、この国になんとも言えない辛気臭さを感じていた。
治安が良く無いと噂の耐えないブカレスト。
建物はボロボロで身なりもボロボロの人とすれ違う事もしばしばあった。

独裁政権の影響でマンホールチルドレンが生まれて、彼らが大人になった現在のブカレストの様子を書いた。

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バスでブルガリアからルーマニアへ

▼放浪350日目 2014/11/22(土)
ブルガリアのルセにて、素敵なご婦人との交流を楽しんだ私は、次の国ルーマニアへ行く為、バスターミナルへ向かった。
ターミナルの敷地に入ると、タクシー運転手が話しかけてきた。

バスは無いよ、タクシーしか無いよ!

笑止。私は前日にバスチケットを購入しており、この男が嘘八百を言っているのは明らかであった。
ポケットからチケットをこれみよがしに見せて、日本語で言い放った。
「嘘つけ!チケット持ってるから!バスはある知ってるから!バカチンがあ!」
男は薄ら笑いを浮かべながら離れていった。
別れ際に皮肉たっぷりに「チャオチャオ!(バイバイ!)」と捨て台詞を吐いてやった。

各国のタクシー運転手の客引きに常々いらついていた私にとって、今までの鬱憤を晴らすかのような爽快さがあった。
(少し言い過ぎたかなと反省もしつつ。)


12時半。ミニバンのような車に乗り込むと、中にはルーマニア人が数人居るようだった。
言葉がわからない。そうだ、私はブルガリアの旅を終え次の国へ進もうとしているのだった。
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ブルガリアからルーマニアには、シェンゲン協定により入国審査が無い。
一応パスポートチェックや身分証のチェックはあったが、簡素なものだった。VISA申請やスタンプなど必要ない。
まるで隣町へ行くように、13か国目のルーマニアに入国した。
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ルーマニアの首都ブカレスト到着

出発から1時間半程。ルーマニアの首都ブカレストに到着した。
空は薄暗く今にも雨が降りそうだった。
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宿泊した宿は、「Puzzle Hostel」。一泊30レイ(約960円)
ドミトリーの部屋は狭く、暗い印象を与えた。同部屋の客の雰囲気も、やたら社交的で柄が悪い。
翌朝の朝食も決められた時間に来ず、1時間程待たされたり、スタッフもやる気が感じられない。
他にもっと良い宿があるだろうが、安さを求めるならここで十分かもしれない。
予約はこちら→「Puzzle Hostel(Booking.com)
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チャウセスクの子供達

▼放浪351日目 2014/11/23(日)
ルーマニアの、特に首都ブカレストの治安は悪い事で知られていた。
野犬が多かったり、スリやぼったくり、数年前には日本人が殺害された事件が起こり、私は警戒しながら街を歩いていた。
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ブカレストの街の第一印象は「辛気臭い」だった。
建ち並ぶ家々は一見して立派であるが、人の気配が無かったり廃墟のように見える建物も多かった。
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人が多い街の中心地へ行っても、うっすらと漂う陰気さは拭えなかった。いや自分自身も陰気だから丁度良いのかもしれない。
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歩いて行ける距離で観光をしてみる事にした。
革命広場には、ルーマニア革命で犠牲になった人々を追悼するためのモニュメントが建っていた。
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黒い脳のような物体を白い柱が貫き、血が出ている。コンセプトは知らないが、あまり良い趣味とは言えない。
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次の観光スポット、国民の館へ。
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この建物は、1989年のルーマニア革命で処刑された「ニコラウ・チャウシェスク」が残した建物だ。
経済が困窮する中、国民を無視した政治をしていたチェウセスクは、私利私欲の為にこの大きな宮殿を建てた。

内部の見学も有料で出来るようだが、中へは入らなかった。
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宿に戻り、少しでもルーマニアの事を知ろうと、インターネットで調べていると「チャウシェスクの子供達」というNHKの古いドキュメント番組に辿り着いた。

ルーマニアは1989年の革命までニコラエ・チャウシェスクの独裁国家であった。
当時、人口増加が国力を強くすると信じたチャウシェスクは45歳未満の女性に対して、子供を4人産むまで中絶を禁じるという政策をたてた。違反すると禁固刑になる。

ところが経済的な理由などで密かに子を捨てる親が増え、多くの子供が孤児院に入れられた。
革命後に孤児院の子供達が街に溢れ、ストレートチルドレンになった彼らは「チャウセスクの子供達」と呼ばれるようになったのだった。

 

ドキュメントに出ていた子供達は今は30代になっているはずだった。
彼らは駅前の地下に潜り生活をしているようだった。
※参考リンク→「ルーマニアの闇、下水道で暮らす「マンホール・チルドレン」と呼ばれるチャウシェスクの孤児たち

マンホールチルドレン達の穴

▼放浪352日目 2014/11/24(月)
ブカレストを離れる朝、鉄道駅の道路を隔てた場所に、奇妙な像と地面に空いた小さな穴を発見した。
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電線が穴の中へ伝っている事から、ここに「チャウセスクの子供達」がいるようだった。

私は度胸が無く、丸山ゴンザレス氏のように突入取材をする事は出来なかったが、心の奥では行ってみたいという衝動はあった。
※参考リンク→「麻薬中毒者の巣窟!ルーマニア・マンホールタウン潜入記 ~丸山ゴンザレスの「クレイジージャーニー」裏日記1
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ブカレスト。
空き家や廃墟が多かったり、街の雰囲気が暗かったり、物乞いが多かったり。やはり辛気臭い。
その臭さには、歴史的な理由が存在していたのだ。

ルーマニアの歴史や、抱える問題を知れた旅だった。
旅は無知な私に、様々な知るきっかけをくれる。

次の街ブラショフへ移動する。
つづく・・・。

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