KENJI HIROTA PHOTOGRAPHY

房総半島カメラマン・ヒロタケンジ

【都会から田舎暮らしへ】33年暮らした東京を離れ千葉の山奥へ移住した理由。

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約7分


2020年4月1日、わたしは千葉県の房総半島の山奥に移住した。

鳥がさえずる声と、心地よい風で葉が重なりあう音。
窓の外に見える小高い山を眺めながら、このブログを書いている。

移住してから3ヶ月ほど経過し、毎日キャンプをしているような、夏休みの旅行しているような気分で生活を送っている。
梅シロップをつくったり、ボロボロの廊下をDIYで張り替えたり。
次はウッドデッキを作ったり、ピザ窯を作りたいな、など色々とやりたい事が溢れている。

一方で、不便で苦労する事もある。
夜になると山奥は真っ暗で、孤独感に襲われ、大きなゲジゲジやネズミが突如現れる。
最寄りのスーパーは車で15分。
周辺にひと気はなく、自分の身に何かあっても誰も助けはこないだろう。

そして引越し当初、庭にはゴミが大量に捨てられていた。
その模様はYouTubeにあるのでご覧いただきたい。→【不法投棄ゴミ】玄関前の庭に何者かが捨てた大量ゴミを掃除した2ヶ月の記録

移住先の庭に不法投棄されたゴミの山。2ヶ月かけて撤去した。

私は東京に生まれ、33年間暮らしてきた。
けっこうな中心地に生まれたので、欲しいものがあったら近所ですぐに買える環境。
車は必要なく、電車とバスでどこへでも行けて、アクセスは最高であった。

そんな便利すぎる東京を離れ、なぜわたしは山奥に移住したのか。

振り返ると、これ!という大きなきっかけよりも、小さな体験が地層のように積み重なり、中身がじわじわと変化し、”自然の中で暮らしたい”という気持ちを強めていったように思う。

そんな、今の生活までにいたる、小さなきっかけや体験を書いてみたい。

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都会に生まれた反動なのか、自然に惹かれる

わたしは東京のどちらかというと下町エリアで育った。
かつては、木造家屋がひしめいて路地裏を走り回ったものだが、その景色は今では高層マンションに変わっている。
木造の我が家の実家は、かろうじて育った当時の姿を保っているが、周囲を高いビルに囲まれ肩を竦めるように建っている。

26歳の時に実家を出てひとり暮らしで、江戸川区に引越しして、
趣味の自転車で東京のあらゆる場所を走り、公園や川沿いを走るのが好きになった。
江戸川区から世田谷へ引っ越した後も多摩川沿いに住み、やっぱり空の広い川は最高だな、自然は癒されるなと思っていた。

この頃から「自然が好き」という感情が芽生えていたが、
一般的に誰でもよく感じる事と言えるかもしれない。

週末になると散歩した多摩川の河川敷。春は桜が満開になる。

東北の震災で東京の物流が止まり、都会の脆さを知る

2011年3月11日に東日本大震災が発生した時、東京で働いていた。
会議をしている時にゆっくりと大きな揺れを感じ、あわてて外へ避難した。
夜の帰宅時間に、電車は止まり、歩道に行列を為して帰路に着く人々の風景を思い出す。

友人の住む、千葉県浦安市は、液状化現象が起こり電柱は倒れ、水道も止まっていた。
この時、コンビニやスーパーの棚は空の状態。
都市部は物流が途絶えるとこんなにも都市機能がマヒしてしまうのか、と実感した。

水や食糧や電気を、自給できるような生活が、本当の強さなのでは?と、自給自足に憧れをいだくようになる。

液状化現象により、斜めになった電柱と半壊の花壇(2011年4月撮影)

海外放浪2年の旅で出会う圧倒的な大自然に魅了

2013年12月から、貯金のほぼ全部を使い果たし2年の世界放浪の旅をしていた。
体中が沸騰するように興奮の景色と出会うこともあれば、行くたびに落胆や無感動な日々を送ることもあった。

旅の中で脳裏に残るのが、大自然の景色である。
風に乗って獣の匂いが漂うサバンナの草原や、スペイン巡礼路で絵画の中に入ったような丘の上の街並み。

一方で人口の集まる都市部は、似たようなカフェやスーパーが建ち並び、自分の中での感情は動かなかった。
すこし離れた地方・田舎にこそ、その国や土地の良さが滲み出るものだ。
そういう場所が好きだし、そんな場所に住みたい、と自分の中での理想を広げていった2年であった。

山間部と穏やかな川からなる風光明媚なラオスのヴァンビエン。景色はよかったがパリピばかりで好きになれなかった。
(2014年2月撮影)

憧れる生活をする尊敬する人たち

旅が終わり帰国してからの4年間、憧れの生活をする人々に出会えた事も、山奥へ移住した理由の一つといえる。
影響を受けた人々を勝手に紹介させてもらおう。(怒られるかな)

西野弘章さん

西野弘章さんは、釣りやDIYの本を書いている、フリーの編集者。
セルフビルドで作られた家に遊びに行かせてもらったり、無農薬で米作りをしたり、多くの影響を受けた。
好きな事で自然を活かして生きる事の素晴らしさを教えてくれています。

ちなみに、西野さんが書いた本「小屋大全」の表紙はぼくが撮影していて、ど真ん中に写っているのも僕です。

収穫祭の記念写真。西野さんがセルフビルドした家を背景に。

舛本佳奈子さん

2016年にカメラマンで50円出張撮影をしていた時のイベント先で知り合い、
100万円で廃墟を買ってリノベーションしていると聞き、度肝を抜かれた。

漆喰を塗ったり、キッチンのタイル貼りを手伝ったり、ウッドデッキ作りを手伝う中で、
DIY楽しい・・・いつか自分もやりたい!と心動かされた出来事だった。
現在は、沼津の海沿いで古いバスを買い取り車内でバーを運営している。
常に面白い事をやり続けていて、いつも悔しい。

運営している「The Old Bus」。後ろにある廃墟っぽい家に夫婦で住んでいて、内装のリノベがむちゃくちゃお洒落。

傍島飛龍さん

友達が「ゆるゆる」行きたい。と言っていて何かと思ったら、とんでもないアートな村だった。
万華鏡作家の飛龍さんが、山奥の倉庫を買って、廃材をつかってエコビレッジを作っている。

飛龍さんの常に楽しげな人間性が、建物に表現されているような。
もうカオスなんだけど、かっこいい空間。

太陽光発電、ミミズコンポスト、コンポストトイレ、無農薬野菜の自給。
わたしが、やりたいなぁと思っている事を全部やっていて、ここは理想郷。
こんなセンスよくはできないだろうが、ゆるゆるのような遊び心で作ってみたい。
参考リンク→オレの理想郷「廃材エコヴィレッジゆるゆる」訪問記

パーマカルチャーとの出会い

千葉県のいすみ市でソーヤー海さんと会った事をきっかけにして本を読んでみた。
そこで知る、パーマカルチャーの事。
環境に負荷をかけない。食物の自給、非暴力コミュニケーション、マインドフルネスなど、
自分の中のやりたい、興味あるキーワードがたくさんあり、ああこの生き方だな!!と、
腹落ちした瞬間だった。
詳しくは、当時のブログをご覧ください。
参考リンク→感動した生き方「パーマカルチャー」とシャロムヒュッテでの暮らし

だから私は山奥へ移住した

という事で、上記の体験によりわたしは山奥へ移住したのです。

いまのところとても楽しい。
これから畑もやりたいし、山を切り開いたり、小屋も建ててみたい。
やりたい事が山積みである。

こんなに楽しい事を独り占めしてはいけないっ!!と、
山暮らしの様子をYouTubeで発信する試みをはじめました。
よければチャンネル登録をお願いします!!宣伝!!

あと、我が家は住み開き的な、そういう自由な場所にもしたい気持ちもあり、
お気軽に遊びにきて頂ければと思います。(今のところ友達限定)
もうちょっとリノベーションすれば泊まれるようになるかもしれません。

以上、お読みいだきありがとうございました!!

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