KENJI HIROTA PHOTOGRAPHY

房総半島カメラマン・ヒロタケンジ

公認ガイド中谷剛さんとアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 見学ツアーへ

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約5分


世界放浪2年の旅の中盤。私は中欧のポーランドを訪れていた。
友人がアウシュビッツ収容所へ訪れているのをSNSで知り、以前に映画で見たことのある場所ということもあり、以前から興味を抱いていた。
ユダヤ人のこと、イスラエルの歴史を知るきっかけとなった。
本記事は、実際にアウシュビッツ収容所へ訪れて感じた事を、写真と共に記したものである。

・本記事は、2014年12月に旅した情報を元に作成しています

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クラクフからアウシュビッツへ

▼放浪374日目 2014/12/16(火)
自分の旅は予定を詰め込まずに、流されるままに移動する事が多い。
今回訪れた、アウシュヴィッツ収容所も詳しい場所は知らなかったが、吸い寄せられるように来てしまった。

滞在していたクラクフからアウシュヴィッツ収容所へは、バスで約1時間半ほどの「オシフィエンチム」という街にある。
クラクフからオシフィエンチム

バスを降りると街には霧がかかっていて、暗い印象を与える。
心は天気と共に移り変わるようで、引き続きこの日も元気がでなかった。

一週間前に日本人ガイドの中谷剛さんへメールを送り、日本語ツアーを申し込んだ。
12時半に待ち合わせの場所へ集合し、数人の日本人観光客と共に見学をする事になった。

 

アウシュヴィッツ収容所・山積みの遺品

このアウシュビッツ収容所は、第2次世界大戦中にナチスドイツがユダヤ人やロマ人らを強制的に集め、大量殺戮が行われた場所。

入口正門には「働けば自由になる」(Arbeit macht Frei)と書かれている。

中谷さんの案内で敷地内へ入り、レンガ作りの建物が並ぶエリアが見えた。

ある建物に入ると中は資料館になっており、ガラスケースには使用済のガス缶が大量に保管されていた。
シャワー室の中で、チクロンBと呼ばれる毒ガスで殺害し、隣接された焼却炉で大量の遺体を燃やしていたのだ。

別のガラスケースには、メガネや義足、カバンや靴がガラスケースの中に山積みされていた。

写真撮影は禁止されていたが、毛髪も山のように集められていた。
犠牲者が残した一部を見ると、彼らの生活が生々しく浮かんできて、胸が締め付けられるようだった。

 

死の壁

犠牲者はユダヤ人だけと思っていたが、ロマ人(ジプシー)や、エホヴァの証人、同性愛者や障がい者の人々もいた。
目印をつけられ区別されていた。

建物と建物の間に、花束の置かれたコンクリートの壁があった。

「死の壁」と呼ばれ、ここで多くの人々が連れられ銃殺された場所。
無数の弾痕の跡や、血痕のような染みが見える。見ているだけで心に迫るものがあった。

少し離れた場所に絞首台があった。
アウシュビッツの所長だった、ルドルフ・フェルディナント・ヘスの死刑が執行された場所。
「心を持つ一人の人間だった」「彼もまた悪人では無かった」と自らを語っていたのが印象的である。(wikipediaより) 

 

ビルケナウ絶滅収容所へ

アウシュヴィッツから2キロ離れた「ビルケナウ」へ移動する。
アウシュヴィッツが強制労働の側面がある一方で、ビルケナウは殺人工場として百万人以上の人が送り込まれ犠牲となった場所。

列車で「死の門」を通り、運ばれてくる。

300棟以上の木造の建物がどこまでも続く。

ある建物に入ると、左右に穴の開いたコンクリートが奥まで並んでいた。
ここはトイレだった。
プライバシーも無く、夏場ともなれば強い匂いも出るであろう。

別の建屋は3段ベッドが並んだ部屋。
夏は37度。冬は―20度にもなるという過酷な場所に押し込められていた。

線路の終点には、瓦礫の山があった。
これはガス室の跡で、終戦間際にナチスドイツが証拠隠滅で爆破したものだ。

夕方、日が完全に沈んだ頃にツアーを終えた。

 

アウシュヴィッツ見学ツアーを振り返って 〜中谷剛さんの言葉〜

ガイドの中谷さんの話で印象に残ったのが、
「何故こんなにもユダヤ人が迫害され、この時歯止めがきかず大量虐殺に至ったか、今でも原因がハッキリしていない」という事でした。
原因が解明されていないという事は、現代社会でも起こりうるのでは、と考えてしまいます。

例えば自分も、戦争の大きな歴史の波に流されて、異常な精神状態の中で大量虐殺の歯車に加担してしまう事もあるかもしれない。ある一線を越えて、人間性が麻痺してしまい暴走してしまう自分もあるかもしれない。
 

世界史の勉強をしてこなかった僕ですが、アウシュヴィッツ訪問をきっかけにして、
ユダヤ人に関連の深いイスラエルやパレスチナ問題が気になったりと、無知なりに歴史を知る事が多くなりました。

ホロコースト(大量虐殺)は遠い国の、悲しい昔話というイメージがありましたが、
現地へ行くと、空気や匂いから歴史を感じ、より心に訴えてくるものがありました。

悲しい歴史ですが、それを感じれるとても意義のある一日でした。
中欧に訪れた際は、是非とも訪れて貰いたい場所です。

つづく

アクセス
・クラクフ→オシフィエンチム 公共バスで12ズウォティ
・日本→クラクフ 飛行機で2度の乗り継ぎで¥70,000くらいから販売していました。(スカイスキャナーより)

👇ホロコーストを題材にした、おすすめDVD

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コメント一覧

  • Comments ( 2 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1. こんにちは。
    写真から、迫ってくるものがありました。
    ありがとうございました。
    そこには、行ったことがないですが、歴史が好きで記事で書いことがあります。
    良かったら、見てください。
    では、良い旅を!

    「ヨーロッパ」カテゴリー 目次① http://yukashikisekai.com/?p=2211

    • コメントありがとうございます!
      ぼくは歴史の知識が浅いので、ここんとうざいさんのブログは一つ深い視点から書かれていて素敵ですね!
      見習いたい!これからも楽しみにしております!