KENJI HIROTA PHOTOGRAPHY

房総半島カメラマン・ヒロタケンジ

ラオスの秘境!ジャール平原に無数に広がる謎の石壺群を自転車で巡る

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約9分

▼放浪63日目 2014/2/8(土)
朝、ヴァンビエンの宿からミニバスに乗り込み次の目的地ポーンサワンへと向かった。
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しばらく進むとバスは山道へ入り、車は右へ左へ上へ下へ揺さぶられるように進んだ。
車内に居る私の体も同じように揺さぶられ、胃の内容物も揺さぶられているようで、徐々に気分は悪くなっていく。
(※ここから下、食事中の人は食べ終わってから見てね!)

しかし先に気分が悪くなったのは後の席に座った、俳優の小林稔侍さん似のオッサンの方であった。

オッサンは運転手にビニール袋を催促すると、その袋におえー!と吐き始めた。繰り返し、繰り返し。
その生々しい音と声を真後ろで聞きながら、ほんのりと酸っぱい匂いもしてきて、私自身も気持ち悪さを加速していった。

小学生の頃に遠足の度にぶちまけていた悪夢を思い出す。
これはまずいと、すぐさまiPhoneを取り出しイヤホンを耳に入れ、音楽をかき鳴らした。

かねてより、大ファンのエレファントカシマシの「さらば青春」をセットした。
真っ赤に染まる夕暮れの川沿いを、心地よい風に吹かれながら歩く。
日本のみんなは元気だろうか。東京の懐かしい情景が瞼の裏に映る。

 

そんな脳内妄想を続けていくうちに、少しずつ気分が平常に戻っていった。
妄想で気分が戻るとは我ながら凄い。病は「気」からだ。

 

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ポーンサワンの街と安宿

その後も山道は険しく、アップダウンを繰り返し、休憩を入れて約6時間で目的地のポーンサワンにたどり着いた。なんともさっぱりとした街である。
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バスで降りた場所が街のどこにあるかわからず、目的の宿がどの方向かわからない。
近くのホテルに聞いたが英語が通じない。
大きいホテルを訪ねスタッフに聞いたが、わからないとの返答であった。

途方に暮れ適当に歩いていると、宿の沢山並ぶ街の中心地らしき場所にたどり着いた。まー、どうにかなるものである。
そして偶然訪ねたゲストハウスが素晴らしいところであった。

ジェンダーゲストハウス。一泊8万キープ。
オープンしてまだ数か月で清潔感溢れる建物と部屋で2階の部屋の出口から田舎の風景が見渡せて、気持ちの良い場所だった。
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宿に荷物を置き一息ついたあと外へ出て街を歩いていると、同じミニバスに乗っていた中国人夫婦に声を掛けられた。

しかし、中国語でまくしたてる為何をいっているかわからなかったが、自転車を漕ぐパントマイムを披露している事から私と一緒に自転車で観光しよう、と言っているようだった。

ここ、ポーンサワンは街の近くにジャール平原にある大きな壺の遺跡が名所であり、
私はそこまで行くのにツアーに申し込むか、ソンテウをチャーターするつもりであった。
しかしツアーやチャーターは20ドルや50ドルなど値段が馬鹿らしい程に高く、どうすべきか決めかねていた。

その中国人夫婦の話だと、ジャール平原まで片道10キロも無いらしく、自転車で行けるという話であった。
それは知らない情報だった。

私は中国で旅していた会話用のメモを見ながら、「自転車?(ツーチンチョー?)」「明天?(ミンティエン?(明日?))」と言うと、そうだそうだ、との事。
明日、8時半にここに集合しようという約束になった。

そんなこんなで、中国人の夫婦と自転車で観光へ行くこととなった。
私の中で自転車で行くという発想が無かったので、この出会いに感謝した。

 

自転車でジャール平原へ

▼放浪64日目 2014/2/9(日)
翌日、寝心地の良いゲストハウスで目覚めた私は、少し肌寒さを感じながら待ち合わせ場所へ向かった。
標高が高いからなのか朝は冷えて、軽ダウンジャケットを着なければならなかった。

約束の時間に中国人夫婦と出会うと、一日2万キープの自転車をレンタルし、3人でジャール平原へと向かった。

走りながら、会話が通じない中国人夫婦と観光している今の状況と展開を面白がっている自分がいた。

中国人ご夫婦は遺跡までどう行くのか把握していないらしく、ついて行くから君が先に行けとの事であった。
そんな事だろうと予想していた私は、遺跡の場所と距離は事前に調べていて、自転車でのルートも既に把握していた。

自転車で進み始めると朝は肌寒かった街も、日が出るにつれて次第に真夏のような気温になってきて汗が吹き出してくる。
さらに少し山道のようなアップダウンもあり、ハードな自転車での移動であった。

しかし中国人夫婦の体力は素晴らしく、見た目は60代を超えたように思えるがそれを感じさせない走りには目を見張るものがあった。時折私を追い抜いて行く程である。
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40分程でジャール平原の入り口にたどり着いた。
自転車を降り入場料1万5千キープを払い、道なりの丘を進んでいく。
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小高い丘を登ると遠くまで見渡せる平原が広がっていた。
その平原には巨大な謎の石壺が無造作に転がっている。
私はついに「ジャール平原」に辿り着いたのである。
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人一人では到底動かせない大きな石壺が何故この地にこれだけあるのか、まだ解明しきれていないという話である。
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巨人伝説などという話もあり、夢が膨らむ。
亡くなった人を埋葬する、「お墓」という説が有力らしい。

ジャール平原は広く、所々に散在しており、ゆっくり歩きながら、ご夫婦の中国語講座などを挟みつつ2時間程観光した。
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自転車で街の中心へ戻り、中国人夫婦と一緒に昼食を食べる。

ご主人のワンさんは仕事を定年退職されていて、奥さんのサンさんと一緒に世界各国を周っている最中のようで、私が辿ってきたベトナムやカンボジアも既に行っているそうだった。
英語がほとんど出来ない様子で、それでも旅が出来ているのが凄いなと思う。
が、中国の人は全世界に各国に居るような気もするし不自由は無いのかなとも思うのは偏見だろうか。

午後、自転車で街をブラブラしたいと外へ出かけると、その中国人夫婦も一緒に行きたいとの事で行動を共にした。

正直、一人でブラブラしたかったが、その時間も楽しんでしまおう。
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街の周辺をぐるぐる回り、また夕方街に戻る。
お二人は明日、ここから北西にあるルアンパパーンへ行くとの事で別れを告げた。
とても元気で楽しい中国人夫婦であった。

またどこかで会いましょう。
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ジャール平原「サイト2」「サイト3」へ

▼放浪65日目 2014/2/10(月)
ポールサワンの壺の遺跡は大きく3カ所に分かれていて、街から一番近い遺跡が「サイト1」、街から20キロ程離れた場所に「サイト2」、更にそこから3キロ程のところに「サイト3」があるとの事だった。

「サイト1」は昨日中国人夫婦と行ったので
この日は、「サイト2」「サイト3」へマウンテンバイクで向う事にした。

宿のスタッフ曰く「サイト2、3」は道が荒く、アップダウンも激しいのでオートバイで行った方が良いとの助言があった。
オートバイで行けるのだから自転車で行けない事は無いと思い、自身迷いながらも行くことにした。
少し苦労があった方が達成感もあるだろうという目論みである。

街から南の道へ自転車を走らせると途中から山道になっていて、勾配の急な坂がそこかしこにあり自転車を降りて押して歩くことが何度かあった。
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おしりは痛くなり、汗は吹き出し、水を飲んでも飲んでも喉が乾く。
車が通り過ぎるたびに土煙が舞い上がり、前が全く見えなくなる程であった。
それと同時に、カメラも埃まみれになり一旦はカバンにしまう事にする。
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とはいえ自転車移動の素晴らしいところは、途中の道道の景色や村々の雰囲気をしっかりと感じる事が出来る。
肉体的にはしんどいが、それを超える精神的な充実度があった。
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野を超え山を越え、宿から約3時間、「サイト2」の遺跡群に到着した。
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昨日見たサイト1よりも規模は小さいが、一つ一つの壺の保存状態が良いのか、フチ周りがクッキリと形が残っていたのが印象的であった。「サイト1」は崩れていたり、かけている壺が多かった。
また高台の丘の上にあるので、そこからの眺望も素晴らしいものであった。
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サイト2の観光を終え、次の「サイト3」へ行こうと考えたが、かなり体力を消耗していたのと戻らないと日暮れまでに間に合わないような気がして行くことに迷っていた。
だが「ここまで来たのなら行ってしまえ」という心の声に従い、さらに自転車を進ませる事にした。

「サイト3」は2キロ~3キロ程離れたところにあったが、やはりアップダウンが激しい道が多く体力は削られていった。
穏やかな村の中を犬に吠えられながら通り抜け、その横道にある「サイト3」の入り口を見つける事が出来た。

入り口の料金所からすぐ小さな木造の橋を渡ると田園風景が広がる。
その道中の景色が素晴らしい。
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田畑の間の細い道を歩きながら、横を向くと遠くには牛が居て、すぐ側には透明度の高い小川が流れ水が陽に反射してキラキラと輝いている。
その風景の奥には山々が囲むように広がっていた。
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自然が生き生きとのびのびとしていて、とても美しい場所であった。

田んぼの道が終わると小さな丘へ続く道が伸びている。
その道を超えると「サイト3」の遺跡が見えてきた。

ここも丘の上にあり、木に囲まれた場所に存在していた。
私以外誰も人がおらず、ひっそりと静かな雰囲気がまた神秘性を増していた。
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ここもあまり訪れる人がいないせいか、壺の形の保存状態が良いように見えた。
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夕暮れも迫り私は「サイト2」「サイト3」の観光を終え、正直壺にも飽きてきていたので日が傾きつつある景色を眺めながら宿へと戻る事にした。

帰り道、自転車で長い坂道を下る場面があった。
茜色の夕日に照らされながら、遠くに見える山々を見据え、長い坂道をずーっと自転車で風を受けて下っていった。
「ああ、ずっとこの坂を下っていたい。」と思わせる程気持ちの良い坂道だった。(この写真の坂では無いが。)
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5分程度の短い時間であったが、ふと日本に居た時の出来事が浮かんでは消えていく。
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みんな元気にしているだろうか。
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もうあの思い出の日には戻れないだな。
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この先の人生いったいどうなるのだろうか。
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などと考えても仕方がない事を思う。
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陽が落ちる寸前で街へ辿り着き、充実感に浸りながら食事を終えた夜、
大好きなコーンアイスを食べながら部屋に戻ろうとすると、宿の共有スペースに日本人女性らしき人が見えた。
すこし勇気をだして声を掛けてみると、やはり日本のお方であった。

キョウコさんは今日ポーンサワンに着いたとの事で、アジアをかなり旅しているお人で、ミャンマー情報やタイ情報など旅の役立ち情報を沢山教えてくれた。
軽妙なトークによりあっという時間が過ぎていた。

女性一人旅で、このマニアックなポーンサワンに来るってオツだなと感じたものだ。
楽しい時間をありがとうございました。
そして、タイの地球の歩き方、役に立っております。

こうして、ポーンサワンの3日間が終わった。
のんびりしていて、好きな街の一つになった。
ありがとうポーンサワン。

明日はルアンパパーンへ移動である。

つづく

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