KENJI HIROTA PHOTOGRAPHY

ケンジ世界放浪の記録

廣田 賢司 (ヒロタ ケンジ)の詳しいプロフィール

プロフィールを訪問して頂きありがとうございます。ヒロタケンジです。
現在、カメラマンとして活動している私ですが、仕事として始めたのは2016年6月と最近の話。
それ以前は、ニートやサラリーマン、旅人になったりと、色々な変化がありました。

このプロフィールには、幼少期から現在までの私の半生をさくっと書きました。
振り返ると「あがり症」・「旅」・「カメラ」の3つが、自分の人生に影響を与えていました。

長文ですので、お時間のあるときにご覧ください。

ヒロタ ケンジ経歴

1980年 2月 東京の下町に生まれる。可愛い可愛いともてはやされる。
1988年 テレビゲームに情熱を注いだ青春時代。
1996年 高校時代の本読みで、あがり症になり以降15年悩む。
1998年 4月 CGクリエイターを目指し専門学校へ。就職出来ず諦める。
2000年 秋葉原でパソコンショップの店員。人見知りを克服出来ず。
2002年 ニート時代。実家を手伝いながら悶々とした日々。
2004年 社会復帰しオンラインゲーム会社へ。
2006年 IT系の会社へ。システム運用保守を担当。
2010年 対人恐怖が押し寄せて会社を辞めようと決意。
2011年 コミュニケーション講座やスピーチ教室へ通い始める。
10月 約2年の講座であがり症や対人恐怖が解消される。
2012年 2月 はじめての一眼レフカメラを購入し、写真にハマる。
2013年 9月 8年間勤めた会社を辞める。
12月 人生やりたい事をやって死ぬんだ!と世界放浪の旅へ出発
2014年 東南アジア〜中央アジア〜東欧までを陸路で横断。
2015年 2月 780キロを徒歩で歩く、スペイン巡礼を踏破。
ユーラシア大陸、陸路横断達成。
一眼レフカメラ(24万円)盗難。新カメラを購入。
8月 エチオピアでカメラとレンズ以外の全荷物を盗難。
12月 アフリカ大陸縦断達成。
2016年 1月 2年の放浪の旅を終えて、日本に帰国。
2月 旅を終えて人生の行き先を見失う。モヤモヤ期再到来。
6月 千葉県房総半島の金谷へ微住。
6月 50円出張撮影サービス実施。
2017年 5月 パーマカルチャーに感銘を受け、やりたい事をみつける。
11月 米New York Times紙にて記事の撮影を担当。
11月 千葉県房総半島の金谷へ移住する。
12月 自分史上初、撮影した写真が本の表紙になる。
2018年 6月 3ヶ月にわたるクリームソーダ純喫茶の旅を終える
2018年 千葉県の山奥へ移住し、半自給自足の生活を目指す。

幼少期〜青年期

記憶には無いが、保育園から小学校低学年までは、「可愛い、可愛い」ともてはやされていた。
自分で言うのもなんだが、確かに昔の写真を見ると可愛い顔をしている。
家族は大きくなった私に向かって「なんでこんなになってしまったのか・・」と嘆く事しかしない。

可愛らしい幼少期

東京のど真ん中で生まれ育った私は、山や川など自然環境が一切無い場所で生まれた。
遊び相手はテレビゲームばかり。
特にセガのメガドライブ・セガサターン・ドリームキャストのソフトを夢中で買い漁り、熱中していた。
ある意味で熱い青春時代であった。


高校時代、昔から大人しい性格であったが急に人見知りが激しくなる。
ある日、授業中の本読みで先生に指名されて音読していると、突然謎の緊張に襲われた。
時間が経つにつれて声と足が震えだし、クラスメイトは何事かと振り向いている。

これがあがり症のスイッチとなって、以降授業中に先生に指名されないか。発表の場があるのではないかと、常に不安感や緊張感に襲われ悩みまくる。
高校時代よ、はやく終われはやく終われっ」と祈りながら学校生活を過ごしていた。
良くも悪くも、この悩みが後の人生に影響していく、

休み時間は机に突っ伏して寝たフリをして過ごしていた高校時代

専門学校〜パソコンショップ店員時代

パソコンを触るのが好きだった私は、上野の専門学校で3DCGを学び、Lightwave・イラストレーター・フォトショップ・Premireを学んだ。
好きな事をしていたので、この2年は楽しい時期であった。

就職活動では書類選考で落とされ続けて、秋葉原でパソコンショップのバイトを始める。
周辺機器・サプライコーナーで、商品の品出しや、接客・レジ対応などを担当。
人見知りを接客業で改善出来きると期待したが、根本の性格は何も変わらず、美容院や洋服屋へ行くのに緊張する日々。

パソコンの基本的な知識をここで学んだが、業績が傾きはじめると人員整理の流れに乗る形で退職した。

バイトが終わりロッカーで着替え中の小生[2001年6月]

ニート時代

2002年。日韓ワールドカップ日本代表のトルシエジャパンが空前の盛り上がりを見せる中、私の心は鬱々としていた。
将来やりたい事もなく、何をするにも恐怖感が押し寄せてくる。社会に出るのが怖くなってしまった。
スーツを着て街を歩く人々が眩しく、それを見て勝手にプレッシャーと自己嫌悪に襲われる。
実家の自営業(製本所)を手伝ってはいたものの、心は鬱々と落ち込むばかりであった。

自宅の工場で叩く小生。奥は母[2002年10月]

 

気晴らしに友人と出かけても、本を読んでも、ゲームをしても、映画を見ても、何をしても楽しめない時期が続いた。
丸坊主にして生まれ変われるかと思ったが、そんなはずなかった。
夢も希望もなく、底なし沼のように気持ちは落ちていった。

ムシャクシャして坊主にした23歳[2003年4月]

サラリーマン時代

家から近いのを理由に面接を受けたオンラインゲーム会社にたまたま入社し、なんとか社会復帰を果たす。
ここで2年間ほど、不正なプレイヤーのアカウントを停止したり、問い合わせメール対応などの業務を行う。
同年代の仲間達と、部活のような雰囲気で楽しく仕事ができた日々であった。表面上は。

26歳。もっとスキルを身につけたいと、IT系の会社に転職し、基幹システムやサーバの運用保守の業務を担当した。
Soraris、Linux、データベース、javaやら、専門用語や言語を頭に叩き込む事に必死で、ついていくのがやっとであった。
2年ほどで仕事を憶え始めると、会議や打ち合わせをする回数が増え、高校時代に酷かった対人恐怖(社会不安)がぶり返してきた。
初対面や3人以上の人前に立つのが怖い。緊張で常にお腹が痛い状態で苦しい毎日であった。

心が楽になるヒントは無いかと、心理学や対人コミュニケーションに関する本を読み漁った。
心療内科へ行き薬を貰っても、一時的に酔っ払うような感じで、その場しのぎで根本の解決にならない。
どう足掻いても悩みが晴れず、会社を辞める決意をした私は上司に相談をする。
まずは出来る限りの事をしようと、コミュニケーション講座やスピーチ教室へ通いはじめ、座学や実践を繰り返し少しずつコミュニケーションが楽しくなっていった。

そして30歳を過ぎ、あがり症や対人恐怖、コミュニケーションに関する長年の悩みから解消された
(※これらの「あがり症」の悩みの事柄は、以下の記事で詳細に書かれているので参照されたい。)
▶️あがり症(人前で緊張)で悩みまくった15年間

世界放浪の旅へ

悩みから解消された私は、刺激的な友人たちや本の影響で人生やりたい事をやって死にたい。と思うようになった。
親も元気で、体も健康で、貯金もそこそこある。
軟弱な自分を叩き直したい。世界中の写真を撮りたい。
そもそも明日死ぬかもしれない。

たくさんの理由に導かれるようにして会社を辞めた私は、今しか出来ない世界放浪の旅へ出る決意をした。
事故や病気、犯罪に巻き込まれて帰れないかもという不安と、未知の世界と触れ合えるワクワクが混じり合いながら、旅の準備をはじめた。

旅立ちの直前、様々な友人がお別れ会を開いてくれた。
特に断髪式(丸坊主にした)は印象に残ったイベントである。友人たちへの感謝の気持ちが巻き起った。

旅先で何かみんなへ報告する手段が欲しい。
フェイスブックをやっていない人も見れるように、旅の様子をブログで発信しよう!と、2013年12月にはじめたのがこのブログのはじまりである。

情熱が燃えては消えた2年の旅

ドキドキしながら香港からはじめた世界放浪の旅だったが、
3ヶ月もするとどこも同じような景色に思えてきた。
有名な世界遺産へ行っても、以前の景色と比べてしまい「こんなものか」と感動が摩耗していった。
一方で、そんな無感動を吹っ飛ばすように突如として出会う絶景には、血液が逆流するような興奮をおぼえた。

標高3000mにある東チベットの僧院

途中でカメラを宿に忘れたり、盗まれてまた買い直したり。
アフリカの旅でお金の底が見え始めて、いよいよ帰国の事を考えなければならなかった。
南米は行きたかったが、ほとんど陸路で2年もたっぷり旅をして満足な気持ちもあった。
そして2016年1月に旅の終止符を打つ事にした。

ナミビアの砂漠にて[Photo by and-sekaiissyu.com]

帰国してから

2年の歳月と350万の資金を使い、旅は私に何をもたらしたのだろうか。
人間的に強くなったかと言われるとそんな実感はなく。
どこでも生きていける!と感じた事もあったが、帰国後すぐにお金がなくなる恐怖に悩まれされた

年齢的に(帰国時36歳)就職は厳しく、やる気も起こらない。
かと行って自分でお金を稼ぐ術を持たない私の未来は絶望しかなかった。
ついでにおっさんで、金も無ければ、彼女も居ない。人生詰んだ。


2016年6月。
友人が結婚のカメラマンの依頼をくれたのをきっかけにして、50円出張カメラマンをはじめた。
ちゃんとお金を取るべきだ。」「お金を取る勇気が無いのでは?」などの苦言を貰いながら、縁が広がる楽しさや要望に応える事が出来るという喜びが、生きがいになっていった。

そして撮影で訪れた、千葉県房総半島にある金谷という街。
山と海に囲まれ、ゆっくりした時間と、程よい距離に住む友人たち。
この街が気に入り、私は住み始める事にしたのだ。

金谷で椅子を作っている小生

2018年6月。
出版社からブログ経由で問い合わせがあり、念願だった「旅を仕事に」が実現した。
日本全国の「純喫茶とクリームソーダ」をテーマにした撮影依頼。
フリーランスでカメラの仕事を始めて2年。はじめて長期の大きな仕事を得た瞬間であった。

車中泊で日本7300kmを巡った純喫茶クリームソーダの旅

己を振り返る

という事で、ざっと半生を振り返りました。

10代、20代はあがり症や対人恐怖による心の憂鬱と向き合った人生。
30代はその悩みが解消されて、写真や旅で自由に生きた人生でした。

世界放浪の旅から帰国し、カメラマンとして(なんとか)食べていける状態になった現在。
2017年にパーマカルチャーとの出会いから、暮らしを自分で創ってみたい!と思うようになり、人生のやりたい事が出来ました。

カメラをしながら田舎で小屋を作り住み、畑をやり、その野菜を食べて生きていきたい。
千葉の山奥に住みたい場所が見つかり、そこへの移住へ向けて動いています。

私は旅や自然、写真が好きであり、これらの「自分の好き」を生業として、生きていきたいと思います。

以上、長すぎるプロフィールをお読み頂きありがとうございました!

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(最終更新:2018年8月7日)