世界2年の序盤。
タイの観光を終えた私は、陸路でミャンマーへと入国する。
そこは、タイには無かった文化。腰巻スカートや顔の化粧をする人々が歩き、驚きと共に写真を撮り歩いた。
そんな国境の町ミャワディーの旅行記である。
👉【ミャンマーひとり旅28日間】放浪2年でいちばん親切で大好きな国!旅行の費用と物価・観光・治安情報【2014年旅行記】
▼放浪100日目 2014/3/17(月)
バンコクからの夜行バスに揺られ、朝6時前にタイ側の国境の街メーソートに着いた。
座りながらの姿勢での熟睡は難しく、体の節々が痛く重い疲労感が残っていた。
メーソートの街はまだ日が明けていないようで辺りは薄暗い。
バスが着いた場所から国境まで10キロ程の距離があった為、バイクタクシーに国境の門まで乗せてもらう。
タイからミャンマーへ陸路国境超え
国境の門の前には長い行列が出来ていたが、外国人は別の窓口があるらしく係員が案内してくれた。
ただ流れ作業的にタイ側の出国審査を終える。
いよいよミャンマーへ入国するが、別段わくわくもドキドキも無かった。
ただ体が重く、眠かった。
大きな門をくぐり、タイの出国審査を終えるとその先には長い橋があり、下には川が流れていた。
この川の向こうがミャンマーという訳だ。
橋を渡りながら、ふと空気が変わったような気がした。
湿気を帯びた粘り気のあるような。
別の世界へ、何も知らない異世界へ入り込んだような気がしたのだった。
もうミャンマーに入ったのだと実感する。
異世界のミャンマーへ入国
ミャンマー側の入国審査を無事に終え、国境の街ミャワディに一歩踏み入れると、タイやその他の東南アジアの国と雰囲気と大きく違う事に驚いた。
「ああ、なんか違う!」心の中で叫んだ。
タイ人より濃い顔つきの人が多く、インド人も少なからず居るようだ。
男性も女性も腰巻スカートのような物を履いていた。
女性の多くは顔には白い粉を頬に塗っている。男性も子供も塗っている人も居る。
これは後に知ったが「タナカ」と呼ばれる粉で、美肌や日焼け止めの効果があるらしい。
地面には血糊のような、乾いた赤い液体跡が所々にある。
これはコッヤーという噛みタバコのようなもので、石灰葉の中に赤い木の実を包み噛む。
唾液は呑み込まず、外に出す。その唾液が赤いのだった。
国境を超えただけで、特徴的な文化や風習を目の当たりにし、私は久しぶりのワクワクを感じていた。
しかしながら言葉もわからない、宿もわからない、頼れる人も居ない。刺さるような視線の先に笑顔は無い。不安で怖い。一体どうすれば良いかわからず、途方に暮れていた。
ミャワディーの安宿
まずは宿を探そうと思い、橋を渡るときに見かけた川沿いのホテル「Seinn Lae De Par Hotel」を訪ねた。
そこは一泊15,000チャット(1500円)だった。
タイの宿から考えると倍以上の値段に驚き、別の宿を探す事にした。
このホテルの宿主に、安宿や両替が出来る場所と、ヤンゴン行きのバスチケットはどこで買えるかを尋ねた。
ほとんど国境から離れた街の中心にあるらしい。
大きなザックを背負い街の中心地まで歩くと、自転車に乗った男に声を掛けられ一泊7,000チャット(700円)の宿を案内してやると、との口車に乗ることにした。
さわやかな水色の黄色い看板が特徴的な、建物に案内された。
英語の出来ない女性スタッフと階段を上り、案内された部屋を見ると、まるで独房のような薄暗い部屋だった。
ベッドと窓しかないとても簡素なもの。
ベッドのシーツをめくると、どうやら南京虫は居ない。
バスルームを案内されると、これまた気味が悪く、和式のトイレの手前に蛇口があるだけだった。
バケツに冷水を溜めて、桶ですくいながら水浴びをする方式みたいだ。
シャワーヘッドの無い宿は始めてだったが、体が洗えればそれで良いかと思いそこに泊まる事に決めた。
恐らくここは最安値の宿である。
ミャンワディからヤンゴンへのバス
街の西にあるバス会社を訪ねるとヤンゴン行きのバスチケットは「今日は満席で無い」との答えであった。
明日はどうか、と聞くと「無い」との答え。
どうやらミャワディとヤンゴン間は細い山道がある為、一日置きに上りと下り交代でバスが出ているようだった。
今日は「ミャワディからヤンゴン着」、明日は「ヤンゴンからミャワディ着」のバスが出る。
ヤンゴンへは明後日にならないと出発しないようだ。
特に用も無いのにミャワディに2泊もしないといけないのだ。
怪しいグラサン男「エッケー」さん
宿に荷物を置き、食事へ行こうと街を歩いているとサングラスをかけた怪しい男に声をかけられる。
「ヘイ!フレンド!どこへ行くんだ!?」
「いや歩いているだけだ。」
「そうかそうか!オレは先生をやっているんだ!」
「お前はどこから来た!?ジャパンか!?」
「そこにおれの家があるから来い来い!さー来い!」
グラサンは私の腕を引っ張って歩き出した。
大通り沿いにある雑居ビルのようなアパートの2階の部屋に入っていった。
部屋には、黒板に向かって机と椅子が並んでいて、子供達数人が勉強している。それは教室であった。
生徒も居て、黒板もあって教室もあって、グラサン男、嘘はついていないなと感じる。
椅子に座れと言われ待っていると、スプライトを買って差し出してくれた。
後でいくら取られるのだろう、と怪しみながらも話を続けた。
グラサン男の名前はエッケーさん。
これから3か月程仕事がないそうで毎日が暇「エブリデー!フリー!」だとの事。
奥さんや子供達も紹介してくれた。
もう十分わかったので、帰ろうと席を立とうとすると、明日は何をするんだ、どこに泊まっているんだと質問してくる。
「明日は特に予定はないが・・」
「じゃー明日、8時半にここに来な!街を案内してやるから!」
断る理由も無かったのでOKと言ってその日は別れた。
エッケーさんとミャワディ観光
▼放浪101日目 2014/3/18(火)
朝8時半、部屋に居るとドアのノックの音がした、エッケーさんが準備は出来たか?と宿の部屋の前まで来ていた。
こちらから行く約束では無かったか。と思いながら急いで身支度をし外に出る。
エッケーさんはミャワディの街を歩きながら、沢山のビルマ語を教えてくれた。
ある程度の単語をメモし、エッケーさんは私を試すように友達に合わせて自己紹介をさせた。
こんにちは 「ミンガラーパー」
はじめまして「トゥェヤダァワンダァパァデェー」
僕の名前はケンです 「チャノウナメケン」
あなたの名前は?「ナメベルレ?」
奥さんが欲しい!「メイマロンジェンデェ!」
最期の一行がオチとなって、毎回爆笑が巻き起こった。
10回以上繰り返したが、どの相手にもスベリしらずだったのだ。
同時に写真撮っていいですか?「ダッボンヤイロヤンマラー」
と聞くと快く撮らせてくれた。
マーケットに入りいつものように自己紹介で「奥さんが欲しい!」というと、皆遠くの女性を指さしていた。
よく見ると女性の姿をした男性だった。
エッケーさんは「イエー、レディーボーイ」と呟いた。
私は笑いながらも、ミャンマーにも居るのか、以外とオープンな国なのかと思えた。
なんだか、ミャンマーはとても良い所だと思えてきた。
とても楽しい。
エッケーさんもハッピーだ、ハッピーだと言っている。
いや、こちらこそ楽しい時間をありがとう。
その後、何故か鶏の居るエッケーさんの家で昼食をご馳走になり、
エッケーさんにお別れを言う。
ミャンマーは一周した後にここに戻ってくるから、その時また会おうと約束をした。
ミャワディ最後の日
▼放浪102日目 2014/3/19(水)
出発の朝、エッケーさんがまた部屋を訪ねてきた。
エッケーさんと握手を交わし、私はヤンゴン行きのバスに乗り込み国境の街ミャワディを離れた。
ミャンマーに入って早々、素敵な出会いがあった。
エッケーさんが街の人を沢山紹介してくれたので、ミャワディという街に思い入れが残った。
知り合いの誰も居ない怖い街だったのに、2日間で友達の沢山居る楽しい街に変わった。
もう既にミャンマーという国が好きになり始めていた。
また会おう、ミャワディ。
ありがとう、ミャワディ。
つづく
街を歩いてたまたま声をかけられて・・
偶然の出会いに導かれてる感じ。凄い。
そう。バスの当日のチケットがあったら、この出会いは無かった訳ですからね。無駄な事は無いという事でしょうね。
こんにちは。ミャンマーについて調べていたところ、辿り着きました。
ミャワディからヤンゴンまでのバスの日程というのでしょうか、
どちら行きがその日走っているか事前に知る術はありますか?
人の写真、凄く綺麗ですね。
単焦点の明るいレンズをお使いだと思いますが、
どちらのものでしょうか?
質問ばかりですみません。
宜しくお願いしますわ
こんにちわ。返信遅くなりました。
バスの日程ですが、噂では偶数と奇数日で決まっていると聞きましたが、月の変わり目で矛盾が生じるので、噂かと思います。やはり現地で確認するしかないかもしれません。
相乗りタクシーがあったと思うのでそれならいつでもいけた気がします。
写真、お褒め頂きありがとうございます。
使っているレンズはSIGMA 35mm F1.5 などです。他にも2本持っています。