世界放浪2年の旅、中盤で訪れた中東のイラン。
旅人の間では「親切で優しい国」「また行きたい国」「一番好きな国」と評判が名高く、楽しみにしている自分がいました。
実際に親切な人も多かったのですが、アジア人をからかう言動をする人が多く、トータル的に私のイランへの印象はよくありません。
北部から中部の山奥、南部ペルシャ湾の街や、クルド人の街まで。
38日間も旅をしたイランという国の情報をまとめてみました。
・本記事は、2014年9月~11月に旅した情報を元に作成しています
イラン旅行のルートと日程
はじめの入国はイラン北東部にあるトルクメニスタンとの国境からのスタートでした。
バスで入国して、はじめに降り立ったのがシーア派の聖地である「マシュハド」。
その後首都テヘランから南部バンダレアッバーズを経由し、西側からテヘランに戻り北西部のタブリーズ経由でトルコ国境へ抜けました。
有名な観光地で無い、マイナーな都市や田舎へ行けて、とことん楽しむ事ができました。
イラン38日間の日程
1日目 | 移動 | トルクメニスタン→イラン マシュハドへ | ||
2〜5日目 | 観光 | マシュハド観光 | ||
6日目 | 移動 | マシュハド→ゴルガーン | ||
7日目 | 観光 | ゴルガーン観光 | ||
8日目 | 移動 | ゴルガーン→首都テヘラン | ||
9〜11日目 | 観光 | テヘラン観光 | ||
12日目 | 移動 | テヘラン→エスファハーン | ||
13日目 | 観光 | エスファハーン観光 | ||
14日目 | 移動 | テヘラン→チェルゲド | ||
15日目 | 移動・観光 | チェルゲド→サラグハセイエド | ||
16日目 | 移動 | チェルゲド→エスファハーン→ヤズド | ||
17〜18日目 | 観光 | ヤズド観光 | ||
19日目 | 移動 | ヤズド→シーラーズ | ||
20〜21日目 | 観光 | シーラーズ観光 | ||
22日目 | 移動・観光 | シーラーズ→バンダレアッバズ観光 | ||
23日目 | 移動・観光 | バンダレアッバズ→ブーシェフル | ||
24日目 | 移動・観光 |
ブーシェフル→アフヴァーズ | ||
25日目 | 観光 |
アフヴァーズ観光 | ||
26〜27日目 | 観光 | ケルマンシャー観光 | ||
28日目 | 移動 | ケルマンシャー→ハマダーン | ||
29日目 | 観光 | ハマダーン観光 | ||
30日目 | 移動 | ハマダーン→テヘラン | ||
31〜36日目 | 観光 | テヘラン観光 | ||
37日目 | 観光 | タブリーズ | ||
38日目 | 移動 | タブリーズ→イラン国境→トルコへ |
少し名残があるのが、東部にあるアルゲ・バムという遺跡。2007年に日本人誘拐事件が発生しており念のためカットしました。
旅人の友人は訪れていたので、2014年での治安は割と良いようです。
街で出会ったイラン人は言いました。
たった一度の事件があっただけでずっと治安が悪いというイメージができてしまうのは悲しいと。

イランの物価や安い。費用・滞在費は?
イラン滞在38日間で使ったお金です。
1$=3.25万リエル=¥114 | 日本円 | イランリエル |
宿代 | ¥41,127 | 1,172.5万 |
食費 | ¥16,300 | 464.7万 |
観光 | ¥8,120 | 231.5万 |
移動費 | ¥11,557 | 329.5万 |
その他 | ¥2,858 | 81.5万 |
合計 | ¥79,962 | 2279.7万 |
1か月以上居て、8万円程なのでなかなか安い滞在費ではないでしょうか。
移動費が特に安かったのと、観光費もモスクなどは無料のところが多くそれも安く抑えられた一つだと思います。
ちなみに日本から首都テヘランへの航空券は、片道¥57,000でチケットを販売しているのをスカイスキャナーで確認しました。時期を選ばなければ安い!
▶️格安航空券の比較 スカイスキャナー
イランにはATMは存在していますが、国際クレジットカードを使用する事が出来ません。
私はあらかじめ現金でアメリカドルを2,000ドルほど引き落として持ち歩き(現金の持ち歩きはドキドキしますが)、
その都度、必要な分だけイランリエルに両替して旅をしていました。
イランのビザは申請と延長方法は?
2年の旅の途中だったので、中央アジアのキルギスでイランビザを申請しました。
旅行代理店(AIR ARABIA)に申請して1か月待たされて取得しました。
代理店へのビザ申請費用が20ドル。イラン大使館で受け取り時のビザ代が50ユーロかかりました。
グルジアで取得するのが、一番待たされずにすむらしいです。
まとまっておらず恐縮ですが、以下申請時と取得時の記事を参照してください。
・イランビザ申請時のブログ→「キルギス・オシュから首都ビシュケクへ ウズベキスタンビザとイランビザ申請」
また、イランではビザの延長も行いました。
2箇所の街の警察署へ行きましたが、どちらも理由をつけられて断られました。
3度目の正直で、ケルマンシャーを訪れるとようやく延長申請をする事が出来ました。(約1000円)
▶️イラン・ケルマンシャーの若者集団に囲まれて危険極まりない
イスラエルの空港で拘束
イランへ渡航履歴がある場合、敵対国イスラエルへの訪問時に注意が必要です。
入国拒否こそされませんが、空港で2時間〜3時間ほど詰問を受けました。
→ イスラエル空港での拘束3時間とレンズ修理無料
アメリカへの渡航
アメリカへの渡航も注意が必要です。
日本人は「ESTA(エスタ)」により、ビザが免除されるますが、2011年以降にイランの渡航履歴がある場合、ビザの申請が必要となりました。
→ 米、ビザ無し入国の条件厳格化 日本も対象(CNN.co.jp)
イランの治安は?
イラン革命後のアメリカ側の制裁によりテロリスト国家指定されたイラン。
事前のイメージは本当に悪くて怖かった(戦争のイメージも強い)のですが、入国すると全てが覆る程に良い人が多いです。
アジア人が珍しいからか、注目される事や話しかけられる事もありますが、ほとんどはフレンドリー。
悪意を持って話しかけてくる事は少なく、例えば家に呼ばれる事は多いですが、お金を取られたり騙されたり、何かを買わされたりはありませんでした。
純粋に旅人とのコミュニケーションを楽しみたいという気持ちが伝わってきます。
ちょっと怖かった出来事として、ケルマンシャーの街で夜に若者に囲まれた事
→ イラン・ケルマンシャーの若者集団に囲まれて危険極まりない)
南部のバンダレアッバースでタクシーの運転手に後ろからそっとカバンを開けられたりした事
→ バンダレアッバース・ホルムズ島のどこにも居ない仮面の女
などがありました。
イスラム教の国なのでお酒が売っていないので、クラブよく見る酔っ払いや、雰囲気の悪い繁華街を見る事もありません。
夜も自由に歩くことができました。
困った素振りがあると、すぐに手を差し伸べて助けてくれる人が居るため、安全・安心して旅をする事が出来ました。
イランの宿は?
イランの宿は割と値段が高くて、どれも1000円以上を超えるものばかりでした。
主要な観光地にはドミトリー(相部屋)があるけれど、そうでない場所には泣く泣く3000円もする宿に泊まっていました。
その分、清潔で快適な宿が多かったと言えましょう。

一番のお気に入りの宿がシーラーズで泊まった「Niayesh Boutique Hotel」。一泊3万リエル(約1050円)
wifiもそこそこ早く、中庭のレストランの居心地も良く、ご飯も手ごろな価格で大変美味しゅうございました。
イランの移動や観光は?
イランのバスは驚くほどに快適でしかも安かったです。
夜行バスで7~8時間乗ったとしても、500円とかの低料金でまあまあ快適なバスに乗ることが出来ました。
夜行バスに乗り継いでいれば、宿代をかなり浮かすことが出来ます。かなり疲れますが。
観光で一番好きな場所がヤズドの旧市街歩きでした。一日中散歩して散歩しました。
古い中東の世界へタイムスリップしたような雰囲気があり、うおー良い、ここ良いー!と咆哮しました。(※ヤズドのブログ)
ウズベキスタンにカメラを置き忘れたヘマをしたので、イランの旅は全てiPhone5で撮影しました。
なので、もう一度一眼レフを持って訪れたいと切に願います。
糞田舎にあった、サラグハセイエドは戦争で逃げて山の斜面に村を作った民族の末裔が住み、独特の形の集落がありました。公共機関が少なくて行くまでの苦労を含めていい旅を経験出来た場所です。(※その時のブログ)
イラン料理はどうだった?
食べ物は基本どこへ行ってもケバブ屋やサンドイッチ屋が多く、そしてそれが一番安く食べれるので毎日の基本食としていました。味は旨かったり、ピクルスが酸っぱかったりとまちまち。
イスラムの国なのでお酒は一切売っていませんので、酒飲みには苦しい国でしょう。
お酒が無い代わりなのか甘いものが豊富で、僕はほぼ毎日アイスクリームやシェイクを飲んで過ごしていました。
アイスは非常に濃厚で、イタリアンジェラートのようなコクとまろやかさがそこにありました。幸せもそこにありました。
イランでハマった「ホレシュテバーデムジャーン」を忘れてはなりません。
ホレシュテというのがシチューの事で、バーデムジャーンはナスの意。
この食べ物で、僕はナスが好きなのだと覚醒しました。ホレシュテバーデムジャーンには幸せが詰まっていた。
イランを舞台にしたおすすめ映画
首都テヘランを旅していた時、日本語ペラペラのインド人と友達になりました。
その友人が大好きだと言っていた映画が「アルゴ」でした。
1979年のイラン革命の時に起こった、在テヘラン・アメリカ大使館人質事件。
アメリカを敵視するイランの学生たちが大使館を占拠し、外交官や海兵隊員らを人質にしました。
大使館から脱出した6名の外交官たちを国外に脱出させようと、CIAが架空の映画「アルゴ」のプロジェクトを立ち上げ、6名をその架空のカナダ人スタッフにすり替えて、イランから救出させようというプロジェクト。
「革命」「占拠」「人質」というキーワードから、拳銃でドンパチやる映画だろうと想像していましたが、良い意味で覆されます。
拳銃や人が殺されるシーンなどはほとんど出てこず、見つかるか?見つからないか!?のギリギリの緊迫感を感じられる映画でした。
作品としても面白く、イランの歴史を知るきっかけとしても素晴らしい作品になっていますので、おすすめです。
イランでよく使うペルシャ語の一覧
旅では英語も通じますが、現地語であるペルシャ語を使うと喜ばれます。
ホレシュテバーデムジャーン、ドゥーストダーラム!(ナスのシチュー美味しい!!)
は、毎回叫んでいました。
以下、旅でよく使ったペルシャ語を載せました。
通じるかの保証出来ませんが、参考にご利用ください。
日本語 | ペルシャ語 | ||
こんにちは | サラーム | ||
ありがとう | メルスィー | ||
本当にありがとう! | ヘイリー マムヌーン | ||
さようなら | ホダハフェス | ||
あなたの名前は? | エスメ ショマーチェ⤵︎? | ||
わたしの名前はケンジ | エスメ マヌ ケンジ | ||
年齢は? | チャン サレター | ||
わかりません | ネミ ドゥナム | ||
〜が好きです | 〜ドゥースト ダーラム | ||
いま何時? | サーアテ チェ? | ||
元気? | ハーレーショマー? | ||
これいくら | イーンチャンデ? | ||
好き | ドゥストダラァラム | ||
お腹へった | ゴロスナム | ||
美味しい | ホシュマゼール | ||
安いホテルどこ? | ホテル アルザーン コジャース | ||
〜へ行きたい | ミハム べ 〜 ベラム | ||
これください | イーン ミハム |
まとめ
イランの評判は旅人達の中でかなり良く、いやその評判通りとても親切な人たちが沢山居ました。
一方で2割程度の人間が我々を小馬鹿にしたような態度(例えば「チンチョンチャン!」とからかうような)があり、それがかなりしつこい。
ある友人は、歩いているとバイクに乗った男に後ろから帽子を取られてしまい、ブチ切れそうになった話も聞きました。
うんざりしてイライラを通り越してしまう事もありましたが、旅の中盤からは逆に楽しむくらいの気持ちで盛り返しました。
良い人も居たけど、腹の立つ事も多かったイラン。僕の中の感想はプラマイゼロだな、という感じです。
街を歩いていると結構な割合で流暢な日本語で話しかけてくるイラン人のおじさんが居て、聞くとバブル時代に日本で働いていた人々でした。
たしかに私が子供の頃(1990年代中盤)上野のアメ横に沢山のイラン人がテレホンカードを売っている記憶が蘇り、懐かしい気持ちにさせてくれた事もありました。
その頃のイラン人のイメージは「怖い」しかありませんでしたが、旅を終えた今、イランの印象は「優しい」しかありません。
街を歩いていても、スリや暴力などの犯罪が起こる気配を感じさせない程に、良い人々の印象がありました。
イスラム教で旅人(巡礼者)をもてなしなさいという教えに従っている、信仰の深い国だからこそなのでしょう。
また一方で、女性の旅人から聞くのはセクハラや痴漢をされたなど、スケベエが多いのも実情です。
行く人によって好き嫌いが別れる、イランの旅でした。
おしまい