バンダレアッバーズからブーシェフルへ
▼放浪314日目 2014/10/17(金)
今一つ楽しめなかったバンダレアッバーズの街を後にした私は、次の街「ブーシェフル」へ移動する。
夜行バスは宿代と時間の節約にもなって便利なのだが、
バンダレアッバーズからの夜行は無く、仕方なく朝の便で行くことにした。
夜の着は治安上もあまり好ましくないが、選択肢が無かった。
朝9時半にバスは出発。
ぼんやりと窓を眺めていると、何本もの煙突から炎が出ている景色に出会った。
そうか、イランは石油の産出国であった。あれは石油工場なのだ。
バスに乗っていると隣のおじさまが話しかけてくれて、テザリングでWifiを使わせてくれたり良いおじさまだった。
意気投合し一緒に記念撮影をした。
ブーシェフルの安宿「ASEMAN HOTEL」
夜20時30分、ブーシェフルに到着。
バス停から街の中心までそこそこ離れていたが、バスで一緒だったおじさまがタクシーでホテルまで送ってくれた。が、到着したホテルは安宿でなく普通の立派なホテルであった。
値段交渉しても下がらず、この時間から宿探しも面倒でここに泊まることにした。
「ASEMAN HOTEL」一泊81万リエル(約2800円)。
ベッドが5つもある部屋をあてがわれた。これでいくらでも寝放題だ。
ブーシェフル観光・街歩き
▼放浪315日目 2014/10/18(土)
ブーシェフルは特に目的があった訳でもなく、次の街の中継地点で寄った街だった。
なんの当てもなく着いた街が実はめちゃめちゃ良かった!というのを期待していた。
ホテルから眺める外の景色は、なんとも中東の雰囲気がする。あたりまえか。
やはりここは観光地では無く、石油や港関係のビジネスマンが訪れるような街だった。なのでホテルも安宿が無いように見えた。
街の北端の海にたどり着いた。
割と綺麗に整備された公園になっている。
他のイランの街と同様に、ここでも積極的に話しかけられ、そして記念撮影となる。
警察官か、軍隊さんかわからないが、やはり記念撮影となった。
何気ない交流が楽しい。
幼き頃に見た湾岸戦争
写真の背景に見える海はペルシャ湾で、この向こうにはイラクやクウェートがある。
私が小さい頃にテレビで見た、湾岸戦争が繰り広げられた場所だ。
イラン=紛争地域という印象が強くあり、自分自身もそう思っていた。
しかし、イランはなんとも優しい人々の多い平和な国であった。
何故戦争が起こったのだろうか。
この土地に立ってみると、当時知ろうともしなかった湾岸戦争について調べる事になった。
この戦争を知るには、他国との関係や歴史を知る必要があった。
※興味無い人は茶色字を飛ばしてください
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・油田の発掘
1908年にイランで発見された油田はイギリス資本の石油会社が運営していた。国策でイギリスは石油を不当に搾取していた。
1951年、不当搾取に気づいた当時のイラン政権はイギリスを追い出し、石油会社の国有化を決めた。
・白色革命
これに反発してイギリスとアメリカCIAは石油利権を取り戻そうと、政権の転覆を画策。
反政府派に資金を投入し、1963年の白色革命が成功。近代化、西欧化、脱イスラム化を推し進めた。
このアメリカ傀儡政権により石油利権を米英に奪われ、イスラム文化も破壊され、貧富の差が広がりだす。
・イラン革命
反発したイスラム原理主義のシーア派の指導者ホメイニ師率いる民衆が1989年2月にイラン革命を起こす。
彼らはアメリカの傀儡政権を追い出し、従来のイスラム化と強い反アメリカ体制を推し進めた。
1989年11月、アメリカ大使館占拠事件が発生すると、アメリカはイランとの国交を断絶した。
・イラン・イラク戦争
この革命のゴタゴタに乗じて、1980年にイラク(サダムフセイン)が石油資源を目的にイランへ戦争を仕掛ける。
裏ではアメリカがイラクへ武器援助をしていた。
1988年まで続いた戦争は決着が付かないまま終結。
・湾岸戦争
経済的に困ったイラクは石油を目当てにクエートへ侵攻。(クエートが意図的に挑発したとに説も)
イラクは国際的に避難され、アメリカ率いる多国籍軍とイラク軍による湾岸戦争が勃発したのだった。
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イランはかつて、アメリカと友好な関係があった事に驚いた。
女性はヒジャブ(髪を隠すベール)をつけず、自由な服装で過ごしていた時代があったのだった。
しかしそれはアメリカからの強制的なものだった為、不満が噴出しアメリカと関係悪化に至った。
インターネットで調べると湾岸戦争について、色々な憶測が飛び交い訳がわからなかったが、
アメリカ、またはユダヤ人の思惑から戦争が始まっているような節があった。
イランは各国から経済制裁や国交断絶を受けているが、本当にそんな悪い事をしているだろうか。
自分たちの文化や資源を守る為の当然の対応に見える。
イラクのフセインも悪の象徴のイメージがあるが、中東の人々からは尊敬されていたらしい。
(リンク→サダム・フセインはアメリカに倒されるべき人物であったか?)
現在も中東では、イスラエルパレスチナ問題や、シリア内戦、イエメン内戦など、終わりの見えない争いが続いている。
知って知識を得る事で、私は何の役にも立てないが、色々な視点から考えなければならない。
旅は無知な自分に学びのきっかけを与えてくれ、考えさせてくれる。
夕方近く、ブーシェフルを歩き終えた私は、宿から荷物を受け取りバス停へ向かう。
次の街アフバーズへ向かう。
つづく