KENJI HIROTA PHOTOGRAPHY

房総半島カメラマン・ヒロタケンジ

【ベツレヘム観光】イエス・キリストが生まれた聖誕教会と分離壁

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約5分


世界放浪2年の旅の中盤。
空港で3時間拘束された末にイスラエルへ入国した私は、聖地エルサレムを訪れた。
イエスキリスト聖誕の地・ベツレヘムにある「聖誕教会」。天使が羊使いにキリストの誕生を告げた地「羊使いの野原」など、キリスト教徒にとっての聖地を訪れた時の旅行記である。

・本記事は、2015年3月に旅した情報を元に作成しています

イスラエル・パレスチナ自治区を15日間観光した、費用をまとめた情報は以下の記事を参照してください。
👉イスラエルとパレスチナ・15日間観光まとめ〜旅の費用や物価、治安など

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イエス・キリスト生誕の地、ベツレヘムへ

▼放浪452日目 2015/3/4(水)
嘆きの壁などの主要なエルサレムの観光をめぐり終えて、南へ少し離れた観光地「ベツレヘム」へ訪れた。
ここは、イエス・キリストが生まれた場所で、聖地の一つである。
エルサレムからバスで8シュケル(¥240)を支払い、1時間ほど。

ここはパレスチナエリアで、街並みはアラブの雰囲気がする。

イエス・キリストが生まれた場所、聖誕教会(Church of the Nativity)

世界遺産である、聖誕教会(Church of the Nativity)を訪れた。
このエリアはイスラエル人とパレスチナ人とで領有権を争っていて教会の補修が進まず、保護を目的として2012年に危機遺産として世界遺産に登録された。

大工のヨセフと聖母マリアがベツレヘムを訪れた時、泊まる場所が見つからず、
やむを得ず家畜小屋の洞窟を宿泊場所に選んだ。
ここで陣痛がはじまりイエス・キリストが生まれた。

イエス・キリスト聖誕の場所。

小さな穴を取り囲むように、銀製の14芒星が飾られている。
12月25日にこの場所でイエス・キリストが生まれ、西暦(紀元)がはじまった。

ミルク・グロット教会

聖誕教会の裏手にある「ミルク・グロット教会」を訪れた。

ここはイスラエルに留学していた友人が一番好きな場所、とオススメしてくれた場所である。

イエスが生まれた当時、新しい王の誕生に脅威を感じたヘロデ王は、ベツレヘムにいる2歳以下すべての男子を殺害する命令を下した。(幼児虐殺wikipediaより)
聖母マリアは洞窟に逃れ、母乳がこぼれて岩が一瞬にしてミルク色に染まったと伝えられている。


白いトンネルの奥へ進むと、礼拝所があった。
静かで清廉な気持ちにさせてくれる。

ベツレヘムの街歩き

イランやトルコを思いだすような、石造りのモノクロの世界が印象的な、アラブの街並み。

イスラエル人が多い地区は、看板がヘブライ語で書かれているが、
この地区はパレスチナ人の地区。英語とアラビア語で書かれている。

少し郊外へ足を伸ばすと、途端に人通りが少なくなり、ゴーストタウンのような雰囲気すらある。
ベツレヘムは丘にある為、急坂を登ったり下ったりする。

ベツレヘムは、なだらかな丘陵地帯と無数にある洞窟が、羊を飼うのに適した場所であった。

ある夜、羊の群れを見守っていた羊飼い達。
夜空を切り裂く明るい光と共に、頭上から天使が舞い降りて、イエス・キリストの誕生を告げた。
「ベツレヘムの星」に導かれて来た、東方の三賢者もこの場所に居合わせたと言われている。

「Angels Appear to the Shepherds in the Fields」
1656年-ニコラース・ベルヘム(Nicolaes Berchem)

分離壁とバンクシー

聖地巡礼を終え、ベツレヘムの中心地から徒歩で分離壁を訪れた。

高さ8メートルのこの壁は、イスラエル政府がパレスチナ側からのテロを防止する目的で作られた壁である。

「テロの防止」という名目で、パレスチナ人の暮らしを分断して土地を奪っている。

この壁にはバンクシーという覆面芸術家が描いた作品を見ることができる。
確認できたのは、この一点。

「WALL MUSEUM」として他にも、たくさんのメッセージ性の強い壁画が描かれていた。


あの日々を振り返る

このブログを書いているのが2018年1月。
イスラエルを旅をして3年の年月が流れている。

この時の私は、スペイン巡礼1ヶ月の旅を終えたばかりで、心身ともに疲れていた。
物価の高いイスラエルを観光する意欲もなく、ゆっくり出来る場所を探し、急ぎ足で旅をしていた時期。
キリスト教の聖地に興味はなかった。

しかし今、こうして写真と共にベツレヘムを振り返っていると、キリストの歴史に興味が出てきた。
イエスキリストの聖誕のことや、キリストの誕生を天使に告げられる羊飼いの事など、
事前に歴史を知って訪れていれば、百倍楽しめたのに。と後悔しているところである。

とはいえ、現地へ行けたからこそこうしてブログに書き、歴史に触れられるきっかけを得られたので、
良いだろうと自分を納得させてみる。

ということで、ベツレヘムの記事を終わります。

つづく

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